〈坂本美雨さんの子育て日記〉25・ママが離れていても
「ミカちゃんもいるよ」に安堵感
ママの仕事は「おうた」。おうたの時は、何日か離れたりするけど、そういうものだ。と、理解してくれているらしいうちの娘。先日「またママおうたでおおさかに行くけど、ママいないのさみしくない?」と聞くと、「ううん、パパがいるからだいじょうぶ」と。
そして一呼吸おいて「ミカちゃんもいるよ」と照れたように笑う。ミカちゃん、とは娘のシッターさんのこと。生後2カ月の時から仕事に同行し一緒に育ててくれているような人で、彼女にとっては親のように頼れる存在だ。彼女の答えを聞いた時、「そっか、自分がいなくたって寂しくないのか、ちぇっ」という気持ちは全くなかった。安堵(あんど)感と感謝で胸がいっぱいになった。これが恋人でも夫でも友人でも、自分と離れている時に寂しくないと知ったら少しは「なーんだ」という気持ちが湧くと思うのだが、それが全くなかった。
もちろん必要とされていたい、でも自分がいなくても幸せならそれが一番。心の底からそう思う。私がいなくても、楽しく生きていっておくれよ、と。自分の気持ちはどうでもいいものなんだな。これが親心か!とほんの少し新しい世界をのぞいた気がした。
愛してくれる人たちに囲まれていてほしい
彼女は少し気を使ってそう言ってくれたのかもしれないとも思う。ママがのびのびおうたに行けるように。3歳にしてはいろいろ分かりすぎている彼女は、そのくらい気を使っていると思う。そう考えると胸が締め付けられるが、パパやミカちゃんが娘にとって私といる以上に楽しい時間にしてくれるのが分かっている。
自分がいなくても幸せに生きられるように。これは私の子育ての大きなテーマかもしれない。いつ突然いなくなるか分からない私たち。どうしようもなく愛していて、毎秒見逃さずにいたい。けれど飛行機が落ちるかも、ぶつかってホームから落ちるかも…常にそんなことを想像してしまう私は、彼女が強く楽しく生きていけるように、なるべく健康な心と体を育む手助けをし、彼女を愛してくれる人たちが近くにも遠くにもいてくれるように環境を整えることを意識している。
縁起でもないと言われるかもしれないがそういう準備が私なりの親の自覚なのだ。世界はいいところだな、自分は愛されてるなと、なにがあっても思ってくれるように。私にはなにができるんだろうか。 (ミュージシャン)