黒柳徹子さんインタビュー 日本の子どもたちへの思い「命の尊さ、戦争の愚かさを伝えたい」

長田真由美 (2024年3月25日付 東京新聞朝刊)
 全国民に親しまれているといっても過言ではないだろう。俳優、司会者、エッセイストなど多彩な顔を持つ黒柳徹子さん。42年ぶりに続編が出版された「続 窓ぎわのトットちゃん」も話題を呼んでいる。そんな黒柳さんに聞いてみたいことがあった。日本の子どもたちの現状をどうみていますか-。

黒柳徹子さん(本人提供)

先生が子どもと話す時間があればいい

ー小学1年生で学校を“退学”になりました。

 ちんどん屋さんを学校に呼び込んだり、巣を作ろうとしているツバメに「何してるの?」と聞いたりしてね。担任の先生は嫌になっちゃったんでしょう。一生懸命に教えようと思っているのに、1人だけそういう子がいたら、本当に迷惑だっただろうと思います。先生は、母にそんな話を全部おっしゃってね。「みんなの邪魔になるので、よその学校にお連れください」と言われてしまった。

 でも私にしてみるとね、学校がどういうところで何をする場所か聞いてなかった。ちゃんと座って先生の方を向いて、みんなと同じことをしなくてはならない、と言われていたら、そうしたかもしれない。

ーその後、「トモエ学園」に通い、素晴らしい出会いがありました。

 母が学校を探してくれて、校長の小林宗作先生に出会いました。小林先生と2人になったら「何でも話してごらん。好きなこと全部」と言われて。どれだけいっぱい話してもいいのかなと思いながら、話し続けました。後で聞いたら4時間くらい。6歳くらいの女の子の話をずっと聞いてくれたんです。

 その話を皆さんにすると「今の学校の先生は時間がない」と言われます。1人の子どもの話を4時間も聞く時間はないって。でもね、もし困ったなと思う子がいたら、その子としばらく話す時間を取れないでしょうか。その子が、その先生を信頼して「この人はいい大人だ。自分のことをわかってくれている」と思ったら、困ったことにはならないと思う。先生が好きに使っていい時間が、毎日10分でも20分でもあればいいのにと思います。

置いてきぼりなら自信を失ってしまう

ートモエ学園のような学校や先生だったら、伸び伸び過ごせそうです。

 トモエ学園では朝、黒板に、その日にやる時間割や問題が全部、書いてある。好きなものから始めていい。みんな頑張ってどんどんやると、昼ごろに勉強が終わるでしょう。すると午後はみんなで散歩。近くにお寺があって、たっぷり遊んだ。学校に行くのが本当に楽しかったです。トモエ学園には誰ひとり、不登校の子はいませんでした。

 私は前の学校のままだったら、伸び伸びとは育たなかったと思う。叱られるんじゃないかって、おどおどしたような子どもになっていたかもしれない。

 確かに学校には、勉強をここまでやらなくてはいけないという「枷(かせ)」があるかもしれないけど、もうちょっと余裕があってもいい。先生も子どもも息ができないくらい忙しいですよね。時間がないから先生もどんどん進めていこうとする。置いてきぼりをくった子は、自分には能力がないと思って自信を失ってしまうかもしれない。「そんなことないよ」って言ってあげられないのが残念です。

黒柳徹子さん著「続・窓ぎわのトットちゃん」(講談社)

スルメほしさに旗を振った戦争責任

ー「続 窓ぎわのトットちゃん」を書くきっかけに、ロシアのウクライナ侵攻があったと伺いました。

 ウクライナ侵攻が始まって、自分が子どもの時に起きた戦争で、どんな思いをしていたか、戦後どうなったかを書いてなかったなと思ったもんですから。「続」で書こうと思いました。

 戦争は、嫌でしたね。はっきり言って。まず物がなくなって。食べ物もどんどんなくなって。当時、出征する兵隊さんに旗を振ったら、スルメの足が1本もらえた。それまで食べたことがなかったし、おなかもすいていたから、すごくおいしかった。旗を振ったらもらえるんだなと思ったから、どこかで振っていたらすぐ走っていって。だんだんスルメがもらえなくなってやめたんですけど。

ー自分にも戦争責任があったと話されています。

 後から考えると、兵隊さんは、あんな小さい子でも自分のことを見送ってくれるんだから頑張って戦ってこようと思ったかもしれない。私はいけないことをした。スルメが欲しいからって、旗なんて振るんじゃなかった。スルメを食べたくて旗を振ったことが兵隊さんの戦死につながったとしたら、自分にも戦争責任があるんじゃないか。今でもそう思っています。

 今はまだ、私よりもう少し上の人たちがいて、大切な人を亡くした経験をしています。そういう人たちが生きている間は戦争に反対するだろうけど、全然知らない人ばかりになると、言う人がいなくなる。誰かが言い続けていかないと。

ーあらためて、戦争について伝えたいことは。

 友達の友達はみんな友達。タモリさんじゃないけど、そう思います。ウクライナの子どもたちだって友達。そういう子が死んだり、親を失ったり、みんながばらばらに別れてしまったりというのは、絶対に阻止しなきゃいけない。戦争ほど愚かなものはありません。

 人間は、人を死に追いやるようなことを絶対にしてはいけない。誰だって人が死ぬのを見るのは嫌だろうし、友達が死ぬのは嫌でしょう。子どもだって同じ。でも、戦争ではそんなことを言ってられなくなるんです。そういう思いで本を書いたところもあります。子どもたちが読んで、戦争があったらとても嫌だなと思ってくれたらと思いました。

子どもが自殺する国は豊かではない

ー今、子どもの自殺が増えています。昨年の自殺者数(暫定値)は、小学生13人、中学生152人、高校生342人でした。

 そんなに多いの? 小学生もいるの? 日本には何でもあるのに、自分で命を絶ってしまう。私は国連児童基金(ユニセフ)親善大使をしていて、アフリカの難民キャンプなどを回りました。毎回、「自殺した子はいますか?」と聞くけど、1人もいない。飢えて死にそうなのに、あれだけひどい状況なのに、です。

 小学生が13人…。そんなにたくさんの子が自殺する国、あるのかしらね。こんなに何もかも満ちあふれている日本で、それだけの子どもが亡くなっている。やっぱり、日本は豊かではない。豊かだと言われるが、豊かではない。命は尊いものだということ。将来を絶ってしまうことがどんなにもったいないかということ。何とか子どもたちに教えることができればと思う。

ー小学生の時、悲しいお別れを経験されています。

 友達の泰明(やすあき)ちゃんが死んだとき、死んでしまうことの意味がまだよくわからなかった。呼んでも返事をしないし、借りた本を返せずにそのままになっちゃった。その時はまた会えるかもしれないと「トットちゃん」には書いたんですけど、大人になると、もう二度と会うことはないとわかる。命はどんなに大切か、子どもに教えることが必要なのかもしれませんね。

 死ぬくらいつらかったら、誰かに話せるところがあればね。自分の気持ちをわかってもらえる人が誰か、1人でもいればと思います。何とかみんなで力を合わせて、子どもが絶対に自殺しない国にしたいと思いますよね。

インタビューを終えて

 45分の取材の間に、黒柳さんが沈黙した瞬間があった。「日本では子どもが自ら命を絶っている。私たちは何ができるでしょうか」と尋ねた時だ。「日本は何でもあるのに、子どもが自分で死んでしまう。どうしてなんだろう」。絞り出すような声で語った。子どもの自殺の理由ははっきりとわからず、さまざまな要因が積み重なっていることが多い。ただ一つ言えるのは、多くの子どもが生きづらさを抱える国、それが今の日本ではないか、ということだ。「日本は豊かだと言われるが、豊かではない」。黒柳さんのひと言が、重く、強く響く。

黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)

 東京都生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大)声楽科を卒業後、NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。1976年にテレビ朝日で放送を開始した「徹子の部屋」は1万2000回を超え、同一司会者によるテレビトーク番組の最多放送世界記録を更新中。1981年出版の自伝的著書「窓ぎわのトットちゃん」(講談社)は国内で800万部、世界で2500万部を超えるベストセラーになった。1984年にユニセフ親善大使となり、延べ39カ国を訪問。飢餓や戦争で苦しむ子に寄り添う活動を続ける。2023年に「続 窓ぎわのトットちゃん」(講談社)を刊行、アニメ映画も公開。インスタグラムや、YouTubeチャンネル「徹子の気まぐれTV」も配信中。

※インタビューの音声は中日新聞のポッドキャスト「あしたのたね」から聞くことができます。