絵本作家 長谷川義史さん 絵本を描き始めたのも、結婚、独立、家の購入も 妻が僕のプロデューサー

加藤祥子 (2024年10月6日付 東京新聞朝刊)

「振り返ると家族のことを描いている」という長谷川義史さん(加藤祥子撮影)

僕は石橋をたたくか考えるけれど

 絵本作家デビューのきっかけは、妻(あおきひろえさん)と言ってもいいのかな。今は妻も絵本作家をしていますが、当時は僕と同じイラストの仕事をしていました。ある時、小劇場の劇団のポスターやチラシのイラストを描く仕事を勧めてくれたんです。それが編集者の目にとまり、絵本を描くことになりました。

 妻はプロデューサー的な存在です。このプロデュース力に出合わなければ、ぼさーっとしていたかもしれません。

 プロポーズも妻から。結婚してすぐにデザイン会社を辞めてフリーになったのも、「絵を描くことに専念したほうがいい」という妻の言葉からでした。僕は石橋をたたこうか、たたくまいか考えているタイプ。でも、妻は「絶対大丈夫や」と、石橋でもそうでなくても、たたかずに渡りきる人。家を買うときも、決断しない僕に、妻が言ったのは「買えば。どうせ死ぬんだから」でした。

 長男(30)が生まれる時には、妻に「あなたも出産する気持ちでいてください」と言われました。「そうかいな」と親子学級に参加し、出産にも立ち会いました。

振り返れば「家族」を描いてきた

 長男と次男(27)は助産院で生まれました。三男(24)は、自宅出産を選びました。お湯を沸かしたり、上の子と枕元で見守ったり。妻が頑張ってもなかなか生まれてこない。出てくるタイミングは、生まれてくる人次第。絵本「おへそのあな」では、最後の場面で、おなかの中からのメッセージとして「あしたうまれていくからね」としました。

 小学1年の時に亡くなった父のことも作品にしました。「てんごくのおとうちゃん」です。父のことを知っている人が周りにだんだんいなくなってしまったので、描いておこうと思いました。一方、母は生きているうちにと「おかあちゃんがつくったる」を作りました。

 僕は、自分が経験したことを描いていることが多い。読んだ人からは「家族を描いてますよね」と言われますが、かっこ悪いなって思っていました。でも、映画監督の山田洋次さんが以前、映画「男はつらいよ」も「家族を描いているんだ」というようなことをおっしゃっていたんです。初めて「ぼくが家族を描けるんだとしたら、それでいいんだ」って思えたんです。

 息子3人は今、大阪から離れて、僕とは別の道を進んでいます。若いうちはしんどいだろうけれど、好きなことに向かっていってほしい。妻とは結婚当初、お互いの絵について干渉し合って、けんかになりました。だんだん「何か言うならほめておこう」と学習しましたが、今でも余計なひと言を言ってしまいますね。夫婦って色と色。違う人と出会っていたら、違った色になる。この人だから、引き出された自分もあると思っています。

長谷川義史(はせがわ・よしふみ)

 1961年、大阪府生まれ。イラストレーターを経て、2000年に「おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん」(BL出版)で絵本作家デビュー。「おたまさんのおかいさん」(解放出版社)で講談社出版文化賞絵本賞。ほか、日本絵本賞に選ばれた「ぼくがラーメンたべてるとき」(教育画劇)など作品多数。

コメント

  • 私は今、就職を目前に控えています。将来のことで不安が尽きず、毎日毎日ひとりで悩んでしまうのですが、もう2年ほど付き合っている彼女は「なんとかなるよ」といつも気丈に背中を押してくれます。 この記事
    たやま 男性 20代