元衆院議員 金子恵美さん 夫の不倫を出産当日に知って…悩みながらも許した理由
それまで掛けてくれた愛情と、尊敬と
4年前、夫(元衆院議員の宮崎謙介さん)の不倫報道が出ると知ったのは、長男を産んだ日の夜でした。早く子どもの顔を見せたいと思っていたのに、病室に来た夫は顔面蒼白(そうはく)でした。話を切り出せないまま2~3時間たった末、不倫したことを打ち明けられました。
出産後の一番幸せな時に、どん底に突き落とすような行いへの怒りはもちろんありました。ただ離婚しようとは思いませんでした。不倫は全く許されませんが、それまで夫が掛けてくれた愛情や、政治家としての夫を尊敬する気持ちをてんびんにかけ、夫婦を続けることを選びました。当時は私も国会議員。それぞれの支援者にどう説明しようかなど、待ち受けていることの大変さで頭がいっぱいで、憔悴(しょうすい)しきった夫を責める気にはなりませんでした。
どん底の夫が始めた日記 信じよう
退院後、心配した私の両親が新潟から来てくれて、私の議員宿舎で、私と夫、息子、両親の5人でしばらく暮らしました。両親も離婚を迫るよりも、「前向きに子どものことだけ考えよう」と夫を許してくれました。
私は出産2カ月後に議員活動に復帰、夫は報道後に議員辞職したため、夫の方が息子と過ごす時間が多くなりました。男性の国会議員として初めて育休宣言をしましたが、図らずも育児に専念できる状態になりました。おむつを替えたり、歯磨きやお風呂に入れたり。料理好きで離乳食の作り方は私より詳しいです。
ただ、夫の精神状態はどん底。少しでも気分を落ち着けようと夫が始めたのが日記でした。私の目に付くように机の上に置いてあって、「今日は息子がこんな動きをした」など日々の出来事のほか、「なんで自分はこんなことになったんだろう」といった反省や、「それでも家族を守りたい」といった思いがつづられていました。私も何をよりどころに夫をもう一度信じればいいか自信が持てなかった中で、この言葉だけは信じていこうと思えました。
今の夫の姿、想像もできませんでした
夫はコンサルタント会社を設立し、企業の顧問をしています。議員になる前は経営者だったので、助けてくれる仲間もいました。「ずっとふさいでいたら、成長した息子に父親の背中を見せられない」との思いがあり、忙しくしています。
4歳になった息子はこの春から幼稚園に通っています。保育園に預けていましたが、「子どもにじっくり関われるのは就学まで」との夫の発案で、幼稚園に変えました。最近は早めに仕事を終え、「主夫」をしてくれる時も。
自らの過ちとはいえ、立ち直った夫の姿を4年前には想像もできませんでした。夫はパートナーであり、戦友です。一緒に乗り越えたからこそ、素直にそう思えます。
金子恵美(かねこ・めぐみ)
1978年、新潟県生まれ。新潟市議、新潟県議を経て、2012年から2017年まで2期、衆院議員を務めた。現在はテレビコメンテーターなどで活躍。自身に降りかかった不倫騒動と、許す力について説いた著書「許すチカラ」(集英社)を10月5日に発売予定。