漫画家 長尾謙一郎さん 作風を変えた「三日月のドラゴン」 息子が空手を始めたことで…

藤原啓嗣 (2022年11月13日付 東京新聞朝刊)

長尾謙一郎さん(藤原啓嗣撮影)

絵を描くたび「上手だね」でも実は…

 物心つく前から、絵を描くことが好きでした。裏面が白い新聞の折り込みチラシを探しては、車や犬を描いていました。父と母は「上手だね」と褒めてくれて、白いチラシを見つけると取っておいてくれました。漫画家としての原点だったと思います。

 10年くらい前、妻が実家で母にその話をすると、母は「何の取りえも見当たらなかったので、子どものうちは褒めようと思った」と語ったそうです。勉強も運動も得意ではなかったのですが、褒められたことを真に受けて育ちました。

 母はとてもおしゃべりで面白い人。「ちょっと黙ってて」とお願いしても20秒くらいで「ちょっと良いかな」と話しかけてくる。印象深かったのは母のお母さんに当たる祖母の話です。「すてきな人だった。あなたを会わせたかった」と惜しんでいました。

 祖母は高等女学校に通って英語もピアノもたしなむモダンガール。僕が生まれる前に亡くなったのですが、息を引き取る直前に「ジ・エンド」とつぶやいたそうです。しびれました。自分の人生を物語のように俯瞰(ふかん)していたかのようで、影響を受けました。

漫画家を目指すと「運」を尋ねられた

 漫画業界の盛り上がりに刺激され、大学1年で漫画家を目指しました。半年後にデビュー。両親は進路に口出ししなかったですが、卒業後に実家で過ごしていると、「一体どうするつもりだろうね」としゃべっている声が聞こえてきました。漫画は競争の激しい世界ですし、心配していたようです。母がつかつかっと近づいてきて、「運が良い?」と尋ねるんです。「めちゃくちゃ良い」って答えると、「分かった。じゃあ漫画の道で頑張りなさい」と、僕の背中を押してくれました。

 その後、帰省した時、戸棚に僕の漫画が並んでいたのを偶然見つけて、恥ずかしくて東京へ帰ったこともありました。だからか、実家で僕の漫画の話題は禁句になりました。その方が僕が描きやすいと思っているんでしょう。

初めて描けた、両親も読みやすい漫画

 のびのびと放任されて育てられたのに、僕自身は母のような子育てはできないです。中学1年の息子に勉強やるぞって宿題も手伝いますが、息子は「そんなこと言われたから、やる気なくした」と口答えします。「子育てって本当に難しいね」と母にLINEすると、「ほんとよね」って返信が来ました。

 新作の「三日月のドラゴン」は息子が空手を始めて、見ていて面白いなと思い、息子を見守るように描きました。今回ほどがらっと作風を変えたことはなかったので、ちょっと怖かったです。初めて両親や親戚も読みやすい漫画が描けたと思います。父も楽しんで読んでいたみたいです。

 今は次回作の構想中です。どこか、自分の私生活が透けて見えるんでしょうね。

長尾謙一郎(ながお・けんいちろう)

 1972年、愛知県あま市出身。大阪芸術大在学中に漫画家デビュー。独自のギャグが光る「おしゃれ手帖(てちょう)」や「ギャラクシー銀座」(ともに小学館)で注目を集める。2019年から連載し、主人公が空手を通じて成長する青春漫画「三日月のドラゴン」(同)で新境地を開いた。4月から京都精華大の特任教授。