打楽器奏者 藤井里佳さん 「音楽に母をとられた」と思っていたけれど…自分もとりこに

(2019年6月30日付 東京新聞朝刊)

厳しかった音楽家の母親について語る打楽器奏者の藤井里佳さん(松崎浩一撮影)

周りを巻き込む姉、実務担当の私

 米国サンフランシスコ在住の4歳上の姉(打楽器奏者の藤井はるか)とは普段、別々に音楽活動をしています。2年ごとに東京で集まり、打楽器のみで構成する公演「打楽器姉妹うたり」を開くのが、慣例となりました。

 姉は発想やひらめきにあふれ、周りを巻き込む勢いがあります。発想の実現のため、実務的なやりくりをするのが私です。事前に話さなくても役割分担が自然とできる。いいコンビだと思います。

 子どもの頃、周りからのイメージは、姉は活発で、私はおとなしい子。姉がピアノを習っていたので、私も3歳から習い始めました。小学校高学年になると、姉がバレーボールを始め、私もあこがれるように。母のピアノ指導がすごく厳しかったので、反発心もあり、中学からはバレーボールの部活に熱中しました。

 でも結局、中学を卒業する頃には「やっぱり音楽が好き。自分には音楽しかない」と思い、姉が卒業した音楽高校に進学。ここでも姉の後を追う形になりました。

 母も打楽器奏者で、多忙で留守がち。建築設計事務所を経営していた父もほとんど家におらず、姉と2人で過ごす時間が長かったです。家には大きなマリンバ2台とグランドピアノが当たり前のようにありました。私たちが遊びで使ったり、母が練習したり。私たちに自然と音楽が染み込んでいたのでしょう。

夫は和太鼓 公演は家族の力の結集

 1960~70年代、日本の有名な現代音楽の作曲家によって、打楽器のための曲が多く作られました。発表された曲もあれば、未発表の曲も多数。わが家にも、当時の母がお願いして作ってもらった曲が眠っています。第一線をがむしゃらに走っていた母たちの時代の証しを、私たちが再演し、今の人たちに伝える。それが「うたり」結成の契機でした。

 子どもの頃は母の不在が寂しく、一時期「音楽に母をとられた」と思っていました。それなのに今となっては、母と同じ音楽のとりこです。母は、私たちに打楽器奏者になってほしいとは思っていなかったそうです。夫婦とも不安定な仕事。米を買うお金もないなど、経済的に苦労した時期があったようです。

 私の夫は和太鼓奏者。姉は映像関係の仕事をしている米国人と結婚し、5歳の娘がいます。姉は世界各地をツアーで回っているので、仕事で不在になると、両親が日本から米国へベビーシッターとして出掛けます。音楽や芸術を仕事とする身内が多く、互いに刺激し合っています。「うたり」の公演も家族の力の結集、といえるかもしれないですね。 

藤井里佳(ふじい・りか) 

 1979年、埼玉県朝霞市生まれ。桐朋学園大打楽器科を卒業。第18回日本打楽器協会主催新人演奏会最優秀賞新人賞受賞。打楽器奏者として全国各地で演奏活動。打楽器姉妹デュオ「うたり」の第3回東京公演を7月26日に江東区の豊洲シビックセンターで開く。