ノンフィクションライター 西岡研介さん 結婚式前夜に「勝手にすれば」と出て行った妻…でも一番の応援団

(2020年1月5日付 東京新聞朝刊)

西岡研介さん(細川暁子撮影)

記事のせい 教会でのリハーサルは深夜

 大学の後輩だった妻と結婚したのは、神戸新聞を辞めて雑誌「噂(うわさ)の真相」に入社した翌年の1999年。でも、結婚式前日、いきなり僕と妻に危機が訪れましたね。

 僕は当時の東京高検検事長のスキャンダルの記事を書き、新聞が朝刊1面で追い掛けたため大騒ぎに。その日は夕方5時から京都の教会で結婚式のリハーサルがあったのに、問い合わせが殺到して東京を離れられず、妻と牧師さんに頼み込んで、夜11時からにずらしてもらいました。

 それでも、リハーサル中も僕の携帯電話は鳴りっぱなし。妻は「もう勝手にすれば」と怒って教会を出て行きました。逃げられたかとハラハラしましたが、結婚式当日、妻はちゃんと来てくれました。

「誤報だったら」弱音を吐くと、妻は…

 その後も僕は当時の首相のスキャンダルを暴きました。もちろん確証があったから書いたのですが、発売日直前には、やはり不安になり、妻に弱音を吐きました。でも、妻は肝のすわった女性でね。「誤報だったら、会社も記者も辞める」と言う僕に、「別に私はええよ。ゆっくり釣りでもして暮らせばいい」と言ってくれました。そのひと言で、僕も腹をくくりました。

 暴力団の実態なども取材してきて、関係者に命を狙われる危険を感じたことも。妻には1週間ほどホテルに身を潜めてもらったり、防犯カメラや二重扉付きのマンションに引っ越したりしました。

 僕が雑誌社を辞めてフリーライターになった後は収入が不安定になりましたが、妻も働き続けて経済的にも支えてくれました。妻は無鉄砲な僕の、一番の応援団です。

地元神戸に帰って子育て PTA会長も

 結婚から9年後に授かった娘は今、小学6年生。僕の地元で子育てをしたかったので、2012年に東京から神戸に引っ越しました。娘の小学校は、僕の母校。東日本大震災などの取材を通じて地域のつながりの大切さを実感していたこともあり、知人に打診されて引き受けたPTA会長を3年務めました。

 82歳の母は近所に住んでいますが、父は2004年に大腸がんで他界しました。76歳でした。熊本出身の父は陸軍士官学校在学中に終戦を迎え、原爆を落とされた広島の光景を目にして「この国を立て直そう」と心に誓ったそうです。父は川崎重工の技術者として戦後日本の復興、経済成長を支えました。

 僕が記者稼業についての自伝を出版した際、父は「いい本だった」と言ってくれました。亡くなる3年前のことです。後にも先にも、父にほめられたのは、その一度だけ。誰よりも認めてもらいたかった父の喜ぶ姿は、今も心の支えになっています。

西岡研介(にしおか・けんすけ)

 1967年、神戸市出身。神戸新聞記者、噂の真相、週刊文春、週刊現代の記者を経てノンフィクションライターに。2008年にJRの労働組合の実態を書いた「マングローブ」(講談社)で講談社ノンフィクション賞。新著は同書の続編となる「トラジャ」(東洋経済新報社)。