女優 真飛聖さん 干渉しない両親の態度、昔も今も変わりません

中山敬三 ( 2021年1月24日付 東京新聞朝刊)

女優の真飛聖さん=東京都内で

バレエ、水泳…好きにさせてくれた両親

 3歳でクラシックバレエを始めました。後になって母に「あなたが『やりたい』と言ったのよ」と言われ、3歳の自分にそんな意志があったのかと驚きました。

 母は芸事が好きで、生演奏だったのが気に入ったみたいで、教室に通わせてくれました。バレエのほかに水泳や習字、ピアノを習わせてくれました。父も発表会に来てくれましたが、2人とも、特に何も言わない。私の意志を尊重してくれていたのか、言っても聞かないと思っていたのか、私の好きにさせてくれました。干渉しない両親の態度は、昔も今も変わりません。

中3で宝塚を知り、2度目の挑戦で合格

 宝塚歌劇のことは中学3年生まで知りませんでした。忘れもしない2学期の始業式の日です。宝塚にはまっていた同級生が、背が高くてバレエをやっていた私に目を付けて「宝塚やって」と言ってきた。「意味が分からない。無理」って感じだったんですが、彼女が持っていた雑誌を見た瞬間「私はここに入る」と思ったんです。

 帰宅して「宝塚に入る」と告げました。「宝塚って関西の兵庫にあるのよ」「そこどこ」「受験があるのよ」「だれでも入れるんじゃないの」。家族とはそんな会話が続きました。声楽の試験もあることが分かり、そこから習い始めです。「ちゃんと高校も受験しなさい」と言われたので、1回落ちた後は、高校に通いながらレッスンを続け2度目で合格しました。

音楽学校の仲間とは家族以上に親密に

 音楽学校時代に一度だけ新幹線で実家に日帰りしたことがありますが、ホームシックはその1回だけ。好きだからここにいるという前提が生徒全員一緒だから、悩んでいても誰かが励ましてくれる。それぞれの長所、短所を言い合ったり、一緒に泣いたり、家族以上の親密さだったかもしれません。ライバルではあるんですが、決して蹴落とそうとする存在ではなかった。がむしゃらに頑張っている姿を見ているので、うらやましいと思った時も、腐るのではなく、前向きに方向転換することができました。

 宝塚卒業後は、舞台だけでなく映画やテレビドラマも両親は見てくれています。私が「録画するの忘れちゃった」と言うと「あるわよ」。「やっぱとってんじゃん」。そんな会話ができるのがうれしいですね。

 出演中のドラマ「その女、ジルバ」には40代の女性として刺さるせりふがたくさんあって、監督から「(感情が)入ってましたね」と言われることも。「見渡せば絶対手を差し伸べてくれる人がいる」というメッセージに私自身とても共感しています。

真飛聖(まとぶ・せい)

 1976年、川崎市生まれ。1993年、宝塚音楽学校入学。1995年、宝塚歌劇団入団。星組に配属され「我が愛は山の彼方(かなた)に」などに出演。2005年、花組に組替え。2007年花組トップスターに就任する。2011年の退団後も、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」や映画「娼年」「ミッドナイトスワン」などで活躍。フジテレビ系ドラマ「その女、ジルバ」に出演中。