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女優 陽月華さん 「あの時、母と手をつないでおいてよかった」

(2018年11月25日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

写真

家族との思い出について語る陽月華さん(木口慎子撮影)

父に「おまえなんか出てけ」と言われ…

 旅行会社に勤めていた父と、専業主婦の母、2つ上の兄の4人家族で育ちました。

 父は私が宝塚に入ることに反対でした。そもそも、宝塚を夢見始めた高校生の頃は、絵に描いたような思春期。父が帰ってくると私は部屋を移り、近くにいても母を介して話すほどでした。宝塚音楽学校を受けることも母にしか言いませんでした。

 勉強しながら働いた経験のある父は、私を大学に行かせ、充実した学生時代を送らせたかったようです。「受かりました。入ります」と告げたら「おまえなんか出てけ」。私も「出てく!」と言ってしまいました。

 入学後、夏休みに初めて帰省する日、私は東京の実家に帰れず、夕方まで家の最寄り駅のベンチに座っていました。母から「帰ってきなさいよ」と電話がきて帰ると、父が大の宝塚ファンになっていたんです。家を出てから宝塚のことを勉強したようで、父が認めてくれてからは共通の話題が増えました。父とは一度離れたことで接しやすくなったと感じます。

母には話せた 宝塚の同期には言えない悩み

 母は「子どもが好きでうちにいる」という感じの人でした。母が手作りしてくれた七五三のワンピースや帽子は、今、写真で見てもおしゃれだと思います。

 母には何でも相談できました。宝塚入団後は毎晩、練習の帰り道は防犯を兼ねて母に電話をしながら歩いていました。同期とは今でも仲が良く家族のようですが、よーいドンで横一線に走らされた女の子たち。やはり、当時は言えないこともたくさんありました。「いい役をもらっているのに文句は言えない」と仲間には打ち明けられない気持ちを、全部母に吐き出して受け止めてもらっていました。本当に大きな存在でした。

カサカサした感触、今も覚えている

 娘役トップになった翌年、足首を骨折し半年ほど休みました。宝塚にいるのもつらくて実家に戻りました。母は「こんなに長い間、あなたがうちにいてくれてうれしいわ」と前向きな言葉をかけ続けてくれました。大人になって親と向き合って過ごした唯一の時間です。歩くとふらつく間、母はずっと手を握って一緒に歩いてくれました。手をつなぐのはすごく久しぶりだなあ、とうれしかったです。

 宝塚を退団した翌年、母は亡くなりました。そのとき、母の手の感触を覚えていることに気付きました。カサカサした働き者の手。「あの時、手をつないでおいてよかった」としみじみ思いました。だから今、70歳になった父とは、けんかをしても握手をしてから別れるようにしています。

ひづき・はな

 1980年、東京都生まれ。98年に宝塚音楽学校に入学し、2000年に宝塚歌劇団に入団。07年に宙組娘役トップに就任。09年に退団し、舞台・ドラマ・映画などで活躍中。映画「駆込み女と駆出し男」などに出演。来年1月19日公開の映画「かぞくわり」で初主演を務める。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2018年11月25日