日本舞踊 西川流家元 西川千雅さん アメリカナイズされた父の強烈なハグ「もう離さないぞ」

中山敬三 (2021年8月8日付 東京新聞朝刊)

西川千雅さん(篠原麻希撮影)

家は洋間だけ アメリカンスクールへ

 昨年12月に81歳で世を去った父、右近(西川流三世家元)は若い頃に海外で見聞を広めていて、アメリカナイズされた面がありました。家は洋間しかなく、ハグも日常的。僕をアメリカンスクールに通わせたのも父でした。祖父(二世家元・西川鯉三郎)のことを僕は大(おお)パパと呼んでいました。

 終戦の年に始まった公演「名古屋をどり」には5歳から出演していますが、初めはお駄賃のお菓子目当てで稽古していました。それが小学3年から突然、父の指導が厳しくなりました。「お祭り」という演目では、「からみ」という棒を持った人が出てくるのですが、間違うとその棒でたたかれる。アメリカンスクールでも当時は、先生がお尻をたたいたり、耳を引っ張ったりして叱ることがありましたが、稽古の厳しさは、その比ではありませんでした。僕は漫画家になる夢がありましたし、先生方から「自分の人生は自分で決めるものだ」と常々言われていたこともあって、高校生の時に「継ぎたくない」と父に告げました。

父の勧めでニューヨークの美大に留学

 「絵の勉強がしたい」という僕に父は留学を勧めました。「行くんだったらニューヨークだ」と。向こうの美大に通い始めて驚いたのは、日本のニュースを何もやらない。誰も日本のことを気にしていない、か弱い国なんだと納得しました。その半面、禅や浮世絵といった日本文化を愛する人と出会って、自分がやってきたことを見直すきっかけになりました。

 学校では、絵画の技術よりも、自分の作品の価値や意図を適切に説明する重要性をたたき込まれました。論理より雰囲気重視の「昭和軽薄体」が全盛だった日本を離れて、全く別の価値観に触れることができたのは父のおかげです。帰国したら強烈なハグが待っていて「もう離さないぞ」と言われてしまいました。

養老孟子先生から「科学信じちゃだめ」

 家元を継いだ年から、藤田医科大(愛知県豊明市)の修士課程で学び始めました。父が考案した日舞エクササイズ「NOSS(ノス)」の効果を科学的に説明するためでしたが、4年通って理解したのは「科学的な説明は不可能」ということでした。

 対談でお目にかかった養老孟司先生(医学博士)にその話をしたら「あなた科学なんて信じちゃだめですよ」と言われ考え込みました。でも、茶道が単に茶を飲むという行為にとどまらず、建築や陶芸にまで影響が及んでいるように、日本舞踊にも数値化できない多種多様な要素、魅力があります。父や祖父は「見せる」ことに心血を注ぎましたが、僕は何より、自身のライフスタイルに日本舞踊を役立てたいと考える人たちの力になろうと考えています。

西川千雅(にしかわ・かずまさ)

1969年、名古屋市生まれ。2014年、西川流四世家元を継承。第73回名古屋をどり公演は10月29~31日、名古屋・御園座で開催。「西川右近追善公演」と銘打ち、3000曲以上を振り付けた足跡をたどる新作舞踊集「西川右近の一生」などを上演する。