歌舞伎役者 市川右團次さん 大冒険に送り出してくれた父 息子にも同じように…できるかなあ

(2020年2月9日付 東京新聞朝刊)
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(木口慎子撮影)

8歳で初舞台 ファンタスティックな歌舞伎に魅せられて

 父は日本舞踊の家元で、自宅の2階がけいこ場でした。三味線の音曲が響いてきて、足拍子に家中が振動して。そんな中で生まれ育ったので、小さいころから音楽をかけられると踊りだすような子どもでした。

 父は日本舞踊とは縁遠い商家の四男坊。長兄が歌舞伎が好きで、その影響で芸事が好きになった。ゆくゆくは商人の道を、ということで大学に入ったのですが、隠し芸のために日本舞踊を習い始め、それが本当の仕事になっちゃった。変わった人でしょう。

 僕が京都の南座で歌舞伎の初舞台を踏んだのは8歳のとき。父に連れられて出た日本舞踊の発表会で、松竹の演劇プロデューサーから「歌舞伎の子役でデビューしないか」と誘われたのがきっかけでした。初舞台で師匠の芝居を見て、歌舞伎のファンタスティックな一面に魅了されました。

師匠が「上京しないか」 必死に勉強し慶応中等部に合格

 父は歌舞伎の子役のしゃべり方など、2階のけいこ場でいろいろと指導してくれました。普段は優しくて穏やかですが、けいこは厳しかった。「できるようになるまで下りてくるな」と言われましたね。

 市川の名字をいただき、小学6年の秋ごろ、師匠から「中学から東京に出てこないか」と言われました。両親から決断を委ねられた僕は「行きたい」と。必死で勉強して慶応義塾中等部に入り、師匠の書斎で書生生活を始めました。

 でも、まだ子ども。いざ出て行くと、寂しくて。歌舞伎役者としてやっていけるのか、それとも大阪に戻って舞踊家になるのか、将来はどうなるんだろうと。そんな中学時代でしたね。

父が師匠に言った「一生、お預けするつもりでおります」

 3年のとき、一門の若手の勉強公演があって、あいさつに来た父に師匠が「最終的には大阪に連れて帰られるんですか」と聞きました。すると、父は「一生、お預けするつもりでおります」と。僕は長男で、歌舞伎は日本舞踊とは全く違う世界。でも父は、僕を大冒険に出してくれたんです。

 師匠はスーパー歌舞伎という、歌舞伎の新ジャンルをつくった人。そういうパイオニア精神みたいなものが、父にもあったと思う。舞踊団を立ち上げたり、新しい創作舞踊をつくったりして、日本舞踊会の新機軸を生み出した人なので。僕を冒険に出してくれたのは、師匠を「この人なら」と思ったのかもしれません。

 うちのせがれは9歳。芝居がすごく好きで頼もしいですが、もし、ほかの世界に行っちゃうと、つらい。父のようにできるかというと…。自信ないなあ。

市川右團次(いちかわ・うだんじ)

 1963年、大阪府出身。父は日本舞踊飛鳥流宗家・飛鳥峯王(あすか・みねお)。3代目市川猿之助(二代目市川猿翁)に弟子入りし、市川右近を名乗る。2017年1月、3代目市川右團次を襲名。3月10~25日に東京、神奈川、千葉など全国10カ所で開催される「伝統芸能 華の舞」では、右近の名を譲った長男と親子で名作「連獅子」を演じる。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年2月9日

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