日本舞踊家 西川カークさん 演劇もスポーツも「チームプレーヤーに」と伝えてくれた父 

(2020年6月7日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真

(金田好弘撮影)

けいこ場では厳しく、家では優しかった母

 子どものころは主に母(59)から踊りを教わりました。けいこ場では厳しかった。踊りの型を覚えるためにずっと立たされることも。とにかく踊りが好きで、舞台がすべてという人。公演前は役柄に没頭してしまう時もありました。

 でも、家では優しかった。中学の時、寝る前に本を読んでいたら「カ~ク~」と呼ばれました。当時、鬼の役を練習していた母はすごい形相で「キッチンにいたゴキブリを、つかまえたぞ~」と。母なりになごませようとしたのです。今は、もうすぐ2歳になる僕の娘をとてもかわいがり、扇子で遊んだり、童謡を歌ったりしてくれています。

「自分が来るのは当たり前」と来日した父

 父(70)は米国人で、母とは西川流の米国ツアーで出会いました。もともと俳優だったのですが、当時はすでに俳優をやめ、ツアーの大道具を担当する会社をつくり、社長をしていました。「毎日舞台が終わると『すごく良かったね』と褒めてくれた」と母からは何度も聞かされています。

 母と遠距離恋愛の末に結婚。僕が生まれた後、父は自分の会社を仲間に任せ、日本に引っ越してきました。当時の思いを大人になってから聞くと、父は「(西川家は)代々続く家庭だから、自分が来るのは当たり前。家族のためにいろいろやりたかった」と。グッときましたね。

 父は来日後、しばらくして、僕と一緒にいたいからと、僕の通うインターナショナルスクールの教師になりました。最初はスピーチや討論を中心に教えていて、その後、高等部で演劇の授業を立ち上げました。

舞台に立つ人は自分中心になりがちだけど

 僕はその授業で初めて西洋の演劇を学びました。ただ、当時は日本舞踊や演劇よりも、バスケットボールやサッカーなどのスポーツに打ち込んでいた。米国のアーカンソー大を留学先に選んだのは、バスケなどで知られており、父の地元でもあったから。父の要望で、大学でも演劇の授業を受けました。

 そこで大事なことを教わりました。演劇で注目されるのは舞台の上ですが、それはほんの一部。監督、演出家、大道具、衣装など、さまざまな役割の大勢の人たちでつくられる。まさにワンチーム。関わる人に深い感謝の気持ちを持つようになりました。

 実は、子どものころにスポーツを始めたのも父の勧めで、「チームワークを学んでほしかった」と後から理由を聞きました。演劇でも、チームプレーヤーになってほしかったと。舞台で演じる人は自分中心になりがちですが、そうじゃないと伝えようとした。父に背中を押してもらい、活動の幅を広げることができた。それは今の僕が日本舞踊に臨む姿勢にも生きています。

にしかわ・かーく 

1989年、名古屋市生まれ。日本舞踊西川流三世家元(現・総師)西川右近さんの長女まさ子さんの長男として、1歳10カ月で初舞台を踏む。2007年にインターナショナルスクールの名古屋国際学園を卒業し、米アーカンソー大に進学。ロサンゼルスに移住し俳優・声優の活動をした後、帰国。現在、西川流別格師範。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年6月7日

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