「バーミキュラ」製造会社社長 土方邦裕さん 弟と目指す世界一の鍋

植木創太 (2020年5月24日付 東京新聞朝)

家族のこと話そう

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(愛知ドビー提供)

職人さんも家族みたいだった

 子どもの頃、3歳下で現在は副社長をしている弟(智晴さん)とは、けんかばかりしていました。私はどちらかと言えば、大ざっぱな性格。弟は理詰めできっちり。ちょっとしたことでカチンときて、ぶつかっていました。

 うちはもともと織機の「ドビー機」の製造会社。家は工場の横にあり、職人さんが仕事の合間にキャッチボールで遊んでくれたり、正月は職人さんが次々と顔を出してくれたり。皆、家族みたいで、会社は大好きな場所でした。

会社再建のために、弟を誘った

 だから、一度は商社に就職しましたが、26歳のとき、父から「後を継いでほしい」と言われ、二つ返事で応じました。ただ、当時、すでに会社の経営は傾いていた。うちの強みは鋳型で部品を作る鋳造と、その部品を精密に削る加工。鋳造は何とか立て直しましたが、あとは私1人では難しいと感じ、大手自動車会社にいた弟を誘いました。

 弟は会計士を目指した時期もあり、自動車会社では経理の仕事をしていて、数字に強く、緻密。それまでも、経営について相談し、助言をもらっていました。弟が「来ない」と言ったら、精密加工部門は閉める覚悟でしたが、快く戻ってくれ、今があります。

社員の笑顔を増やそうと商品開発

 当時、兄弟で「社員の笑顔が減った」と悩んでいました。私たちが幼いころ職人さんは「うちのドビー機は世界一」と誇っていた。それが下請けが仕事の中心になり、自信をなくしていました。

 そんな時、弟が「誇りを取り戻すため、町工場から世界最高の製品を」と考えたのが、鋳造と精密加工の技を存分に生かせる鋳物ホーロー鍋。当時、国内の市場は海外品が中心で人気があり、高い品質の日本製を出せば、「勝機がある」と感じました。

 目指したのは、素材を生かすために水を使わない「無水調理」のできる鍋。そのために高い気密性が必要でした。弟が開発を指揮したのですが、最初の試作品は気密性などが目標に届いていなかった。当時はリーマン・ショックのまっただ中。経営も厳しく、弟は一度発売し、市場の反応を見ることを提案しました。

職人たちと改善を続け3年、ついに

 しかし、私は「ブランドに育てるなら、最初から最高の品を」と。社長として、ぶれてはいけないと思った。弟は思いを受け止め、職人たちと改善を続け、開始から3年。出来上がった鍋で弟が作ってくれたカレーは衝撃でした。私はニンジンが大の苦手。でも、そのカレーのニンジンはおいしかった。自信を持って売り出せると確信しました。

 楽しみは娘(8つ)に手料理を振る舞うこと。そんな一家だんらんのきっかけになる料理が作れる道具を日本中、世界中に届けていきたいです。

土方邦裕(ひじかた・くにひろ)

1974年、名古屋市生まれ。東京理科大卒。商社を辞め、愛知ドビーへ2001年に入社し、3代目を継承。2010年に販売を始めた鋳物ホーロー鍋「バーミキュラ」は昨年末までに約47万個が売れた。4月には新商品のフライパンを発売した。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年5月24日

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