ウクレレ奏者 名渡山遼さん 柔道からの転身を決意すると、厳しかった父は…

草間俊介 (2021年8月15日付 東京新聞朝刊)

名渡山遼さん(佐藤哲也撮影)

父は柔道五段 厳しさとやさしさと

 高校の体育教師の父、中学の英語教師の母、2つ上の兄の4人家族で育ちました。父は柔道五段。兄と私は小学校から柔道を始めました。私は背負い投げが得意でした。

 小学校時代、柔道の師は父でした。練習は厳しく、時には逃げ出したくなりました。身が入っていない時など、すごく叱られて。母はもっと厳しく、「(叱ったのが)お父さんでよかったわね。私だったら、もっとボコボコにしていたわよ」と言われました。兄も私も柔道が強い中高一貫校に進み、父の大学の後輩だった先生から指導を受け、練習の休みは年に2日だけという生活を送りました。

 両親は厳しいだけではありませんでした。小学校時代、地区大会で優勝すると、「よくやった」「将来は五輪出場だ」などと褒めてもくれました。厳しさとやさしさが絶妙のバランス。私のやる気を引き出してくれました。

小6のハワイ旅行でウクレレに出会う

 小学6年の家族旅行のハワイで、ウクレレを初めて聴きました。知らない楽器なので、逆に興味を持ちました。買ってもらって弾くと楽しかった。柔道でヘトヘトになった帰宅後、疲れた体と心をウクレレを弾いて癒やすようになりました。

 両親は「今はどこどこがミスった」「うまい。次はこの曲を聴かせて」と、ここでもやる気を引き出してくれました。ハワイで買ったCDを聴きながら独学で腕を磨きました。中学時代には人前で演奏するようになり、音楽への興味も高まってきました。

 高校卒業が近づき、父の母校である柔道の強豪大学か、音楽が学べる大学か迷い、音楽に決めました。父母にどう話そうか、すごく怖かったです。父に話すと、兄も高校卒業後、柔道と別の道に進んだこともあり、希望が認められました。

2歳の娘を褒めて「これって、昔…」

 大学の時、都内でワンマンライブを行いました。小さなライブハウスに満員の約200人。会場の盛り上がりに「プロでやっていけるのでは」と手応えも得ました。

 就活の時期になり、思い切って「ウクレレのプロになると決めた」と父に打ち明けました。とても怖かったです。父は「いいじゃないか。おまえのようなやつは就職なんてできやしないから。好きにしろ」と。冷たい言葉でしょう。でも、父はストレートな物言いをしないと、私は分かっていたので、「やったー」という気持ちでした。両親はコンサートにも来てくれます。時にはアドバイスも。頼もしい応援者です。

 結婚して2児の父となりました。2歳の娘がお絵描きして、見せてくれます。私は頭をなでながら「うまいねえ、天才だ」などと褒めます。あれっ、これって、遠い昔、私も父母から-。父母のありがたさを思い直しました。

名渡山遼(なとやま・りょう)

 1993年1月埼玉県生まれ。日本大芸術学部音楽学科卒。ウクレレも手作りし、海外公演も多数。2016年にメジャーデビュー。7月に最新アルバム「Sense」を発売。活動予定など詳細は本人の公式サイトで紹介している。