劇団四季の俳優 吉田絢香さん 高2の時に亡くなった母に導かれ…「今の私を見たら喜んでくれたはず」

海老名徳馬 (2022年1月9日付 東京新聞朝刊)

劇団四季でミュージカル俳優として活躍する吉田絢香さん(木口慎子撮影)

スポーツ推薦か音楽科か 相談すると…

 生まれた時から、ピアノがおもちゃでした。お母さんが自宅でピアノの教室を開いていたからです。お座りできるようになった頃には、当たり前のように弾いていました。生徒さんが帰った後の夜にいつもお母さんに教わり、3歳から発表会にも出ていました。家ではお母さんがピアノを弾いて、私と妹が子ども番組の歌や童謡を歌う。日常にいつも音楽がありました。

 中学校では陸上部に入り、走り高跳びで岐阜県大会で2位になりました。高校の推薦も頂きましたが、迷いました。陸上を続けても全員が五輪に出られるわけではない。職業につなげるならどうなのか。お母さんに相談したら、自分も学んだ音楽科のある高校に行けば、と言ってくれました。当時は部活に一生懸命でピアノを毎日は触っていなかったので、歌の専攻で、と。

 私の人生を決定付けた助言でした。そう言われなければ、陸上競技の成績で推薦を受けていたと思います。受験には実技など音楽の試験があって、全部お母さんが教えてくれて合格できました。

がん治療中でも、毎週会いに来てくれた 

 高校は実家から遠かったので寮に入りました。お母さんはしょっちゅういろいろな物を送ってきて、毎週日曜日には会いに来てくれました。その前から肝臓がんの治療をしていて、体調が悪かったのに。亡くなったのは高校2年の夏でした。

 音大ではオペラを学んでいましたが、先生から「踊るのが好きなら」と勧められ、劇団四季のオーディションを受けて合格しました。お母さんに今の私の姿を見せたら喜んでくれるはずです。子どもの頃は発表会があると必ず来てくれていたので、もし今いたら、近くに住むと言いだすんじゃないかと思います。

父は突然ラーメン屋に 素朴な味です

 お父さんは岐阜県土岐市で「吉田屋」という飛騨高山ラーメンの店を経営しています。私が生まれた頃は喫茶店をしていて、建築会社で働いた後、私が小学6年の時に突然ラーメン屋を始めました。もともと、お母さんの実家が有名なラーメン店で、調理師免許を持っていたお父さんは、その味を自分の店で出そうと思ったようです。

 私はお父さん似で、ひげを生やすとお父さんになります。大津市の出身で、芸人さんみたいにいつもふざけてばかり。でも、すごく前向きで、できないと言ったり悩んだりするのを見たことがありません。私もくよくよせずに明るいので、そこも受け継いでいるのかなと思います。

 お父さんの高山ラーメンは素朴な味。今でも楽屋に差し入れをとお土産セットを送ってくれて、よく食べています。今月は久しぶりに名古屋で公演があります。お父さんの店にも行ければと楽しみにしています。

吉田絢香(よしだ・あやか)

 1989年、岐阜県高山市生まれ。国立音楽大卒業後、2011年に劇団四季に入り、「オペラ座の怪人」など多くの舞台で活躍。出演中の公演「劇団四季のアンドリュー・ロイド=ウェバーコンサート アンマスクド」は15日に静岡市、2月8~10日に横浜市で開かれる。