アドベンチャーレーサー 田中陽希さん 初めて見つけた目標…”名物おじさん”だった父が背中を押してくれた

熊崎未奈 (2022年1月23日付 東京新聞朝刊)

アドベンチャーレーサーの田中陽希さん(本人提供)

旅好きの両親 富良野に一目ぼれし移住

 2007年からアドベンチャーレースに出場しています。世界各地の山や海が舞台のアウトドアスポーツ。男女混成チームで数百キロのコースに挑み、何日間もかけてゴールを目指す過酷な競技です。

 6歳の時、家族で埼玉県から北海道富良野市に移住しました。両親は若い頃から旅好きで、車に荷物を積んでキャンプをしながら各地を巡る中、富良野の風景に一目ぼれしたそうです。

 北海道での忘れられない思い出は、小学1年から始めたクロスカントリースキー。そこで培った体力や精神的な成長が今につながっています。でも、応援する父の方がのめり込んでいました。小学生の頃、夏は毎日、学校から帰るとすぐランドセルを置いて走らされました。全国の大会に駆け付け、子どもたちを応援する名物おじさんでした。

挑戦への思い 父は「俺がスポンサーに」

 明治大に進んだ後もスキー競技は続けましたが、4年で一区切りを付け、卒業後は日本体育大に編入しました。体育の教員免許を取るためでしたが、もう少し将来を考えたい気持ちもあり、山を走るトレーニングも続けました。

 ある山岳レースに出ようと調べた時、歴代優勝者にアドベンチャーレーサーを見つけた。その所属チームも調べると、練習生を募集していたんです。世界大会で日本人チーム初の優勝を目指す、と。「自分がやりたいのはこれだ」と初めて思った瞬間でした。

 とにかく挑戦したいと両親に頭を下げました。少し間があった後、父は「よし分かった。俺がスポンサーになればいいんだな」と。「途中で投げ出してはいけないぞ。本当にやりたいのであれば、大変な思いをしてでもやりなさい」と背中を押してくれました。うれしかった。ただ、海外の未開の地でのレースなので、不安はあったみたいです。

SNSで僕の発信を毎日のようにチェック

 全国の美しい山々を踏破しようと、2014年から一時レースを離れ、日本百名山、二百名山、三百名山を徒歩とカヤックという人力のみでたどる「ひと筆書き」に挑みました。およそ7年間の挑戦で、多くの人に影響を及ぼす存在になるとは、両親も想像していなかったと思います。

 旅の間、月1回は家族に連絡しました。父は「そんなに電話してこなくていい」とぶっきらぼうでしたが、SNSで僕の発信を毎日のようにチェックして、現在地や登った山を把握していたみたいです。

 家族は一番頼れる存在で、自分のルーツ。父が北海道への移住を決断したからこそ、今の自分があります。旅の途中、春を待つために実家で4カ月ほど両親と一緒に暮らし、改めて年を取ったなと感じました。これまで子どものために時間を費やしてくれましたが、残りの人生は好きなように過ごしてほしいです。

田中陽希(たなか・ようき)

 1983年、埼玉県生まれ、北海道富良野市育ち。アドベンチャーレースのプロチーム「チームイーストウインド」(群馬県みなかみ町)所属。2014年、人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」を達成。翌年に二百名山を、2018~2021年には百名山、二百名山、三百名山全てを人力のみで踏破した。

コメント

  • 最近陽希さんの番組がなく残念BS放送は契約してないので寂しいですね。若い時から山登りして今は後期高齢者なので、里山しかでも花鳥で元気頂いて、まず早くコロナ終わってほしい。マスクなしで里山歩けたら。私に
    さーさ 女性 70代以上 
  • 66才です。この先私には、経験したくても出来ない登山です。色々なかたに迷惑がきります。体験出来ない素晴らしい擬似体験をさせて頂き価値観も変わりいつもワクワクさせて頂いています。 本当にありがとうござ
    料理の別人 男性 60代