アドベンチャーレーサー 田中陽希さん 初めて見つけた目標…”名物おじさん”だった父が背中を押してくれた
旅好きの両親 富良野に一目ぼれし移住
2007年からアドベンチャーレースに出場しています。世界各地の山や海が舞台のアウトドアスポーツ。男女混成チームで数百キロのコースに挑み、何日間もかけてゴールを目指す過酷な競技です。
6歳の時、家族で埼玉県から北海道富良野市に移住しました。両親は若い頃から旅好きで、車に荷物を積んでキャンプをしながら各地を巡る中、富良野の風景に一目ぼれしたそうです。
北海道での忘れられない思い出は、小学1年から始めたクロスカントリースキー。そこで培った体力や精神的な成長が今につながっています。でも、応援する父の方がのめり込んでいました。小学生の頃、夏は毎日、学校から帰るとすぐランドセルを置いて走らされました。全国の大会に駆け付け、子どもたちを応援する名物おじさんでした。
挑戦への思い 父は「俺がスポンサーに」
明治大に進んだ後もスキー競技は続けましたが、4年で一区切りを付け、卒業後は日本体育大に編入しました。体育の教員免許を取るためでしたが、もう少し将来を考えたい気持ちもあり、山を走るトレーニングも続けました。
ある山岳レースに出ようと調べた時、歴代優勝者にアドベンチャーレーサーを見つけた。その所属チームも調べると、練習生を募集していたんです。世界大会で日本人チーム初の優勝を目指す、と。「自分がやりたいのはこれだ」と初めて思った瞬間でした。
とにかく挑戦したいと両親に頭を下げました。少し間があった後、父は「よし分かった。俺がスポンサーになればいいんだな」と。「途中で投げ出してはいけないぞ。本当にやりたいのであれば、大変な思いをしてでもやりなさい」と背中を押してくれました。うれしかった。ただ、海外の未開の地でのレースなので、不安はあったみたいです。
SNSで僕の発信を毎日のようにチェック
全国の美しい山々を踏破しようと、2014年から一時レースを離れ、日本百名山、二百名山、三百名山を徒歩とカヤックという人力のみでたどる「ひと筆書き」に挑みました。およそ7年間の挑戦で、多くの人に影響を及ぼす存在になるとは、両親も想像していなかったと思います。
旅の間、月1回は家族に連絡しました。父は「そんなに電話してこなくていい」とぶっきらぼうでしたが、SNSで僕の発信を毎日のようにチェックして、現在地や登った山を把握していたみたいです。
家族は一番頼れる存在で、自分のルーツ。父が北海道への移住を決断したからこそ、今の自分があります。旅の途中、春を待つために実家で4カ月ほど両親と一緒に暮らし、改めて年を取ったなと感じました。これまで子どものために時間を費やしてくれましたが、残りの人生は好きなように過ごしてほしいです。
田中陽希(たなか・ようき)
1983年、埼玉県生まれ、北海道富良野市育ち。アドベンチャーレースのプロチーム「チームイーストウインド」(群馬県みなかみ町)所属。2014年、人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」を達成。翌年に二百名山を、2018~2021年には百名山、二百名山、三百名山全てを人力のみで踏破した。
コメント