パラアスリート 山本篤さん 20歳で始めた陸上、楽しいからやってます 3歳の長男は「父ちゃんすごい」

(2021年10月31日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

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パラ陸上選手の山本篤さん (本人提供)

高2で左足切断 1日だけ泣いた

 幼い頃から水泳や野球、剣道といろんなスポーツをやりました。両親と2人の兄弟もスポーツが好きで、毎年冬は家族みんなでスキー旅行へ。中学からはスノーボードにのめり込みました。

 高校2年で左脚を切断した時も、医師に「スノボはできますか」と聞いたくらい。よく覚えていないんですが、2カ月半の入院中に1日だけ泣いたそうです。足を失ったことが悲しかったのかな。でも、友人が持ってきてくれた雑誌に、義足でスノボをしている人が載っていて、「義足でもできるじゃん」と。それからは落ち込むことはなかったですね。あまりにあっけらかんとしていたので、毎日見舞いに来ていた母は心配したみたいですけど。

 もともと家族みんなが明るい性格。僕は当時、若くてやんちゃで、怒られるようなこともしました。でも両親は終わったことをグチグチ言わず、この後どうすればいいのか、解決策を考えるよう諭してくれました。だから、脚を切断しても義足でやれることがあると、切り替えられたんだと思います。

リオで銀 悔しくてプロに転向

 義肢装具士になろうと入った専門学校でスポーツ用の義足に出合い、20歳で陸上を始めました。初めて出た2008年の北京パラリンピックは走り幅跳びで銀メダル。日本の義足陸上選手として初のメダルで、うれしかったですね。2016年のリオデジャネイロ大会は、直前に世界記録を更新し、金メダルを狙っていましたが、結果は銀。めちゃくちゃ悔しかった。「このままじゃいけない」と思い、2017年にプロに転向しました。

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東京パラリンピック陸上 男子走り幅跳びで跳躍する山本篤選手=8月28日、国立競技場で(隈崎稔樹撮影)

 1歳上で小学校教員の妻とはその前年に結婚したばかりでしたが、「私の稼ぎだけでもやっていけるから大丈夫」と背中を押してくれました。可能性は低いと言われた冬季大会にも挑戦し、2018年の平昌パラにスノーボード代表として出ることができました。

息子たちも夢中になれることを

 その年に長男、今年7月に次男が生まれました。3歳になった長男は試合の映像を見て「父ちゃんすごい」と喜んでくれます。長男が通う幼稚園では今夏の東京大会前にパラ競技について講演し、走り幅跳びでアジア新記録で4位になった時は新聞記事を張り出してくれました。長男はヒーロー扱いで、他の園児たちとハイタッチしたそうです。

 息子たちには好きなことをやってほしい。僕の陸上がそうです。楽しくて一生懸命やっていたら、パラリンピックに出てたくさんの人に応援してもらえた。自分では努力していると思っていません。面白くなくなったらやめるときでしょうね。息子たちにも、夢中になれるものを見つけてほしいと思っています。

 山本篤(やまもと・あつし)

 1982年、静岡県出身。高校2年の時にバイク事故で左太ももを切断した。2008年北京から2021年東京まで4大会連続で夏のパラリンピックに出場し、走り幅跳びで銀2個、400メートルリレーで銅1個のメダルを獲得。2018年冬の平昌大会にはスノーボード代表として出場した。

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