1型糖尿病の元エアロビック選手 大村詠一さん 「血糖コントロールをすれば何でもできる」母の言葉を支えに日本一に

佐橋大 (2021年10月17日付 東京新聞朝刊)
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大村詠一さん(本人提供)

8歳で発症 誕生日ケーキも食べられず

 私は4歳からエアロビックを始めました。インストラクターだった母の影響です。エアロビックは、米国で考案された有酸素運動(エアロビクス)のプログラムをスポーツに発展させたものです。80秒、音楽に合わせて踊り、その出来栄えを競います。フィギュアスケートの陸上版というとイメージしやすいでしょうか。

 体の免疫の異常によって、血糖値を一定に保つインスリンを体内で作れなくなる1型糖尿病を発症したのは8歳の時です。夜、1時間おきにトイレに起きて、水をがぶ飲みし、食欲がなくて、誕生日のケーキも食べられませんでした。これはおかしいと、母に連れられて、かかりつけの小児科に行ったところ、医師から「糖尿病の疑いがある」と母を介して言われました。

うわさを気にせず「詠一ならできる」

 待合室で待つ私の所に戻ってきた母の不安そうな顔を今もよく覚えています。「なんで僕がこの病気になったの」と思い、一生、自分でインスリンを注射しなければいけないと聞き、とてもショックでした。

 母は心配しながらも、見守ってくれました。まだ、1型糖尿病があまり知られていない中で「親の管理がなっていないから、子どもが糖尿病になった」などと言う人もいました。でも、母はそんなうわさを気にするそぶりも見せずに「注射さえ打って血糖コントロールをすれば、何でもできる」「人には乗り越えられる試練が与えられる。詠一ならできる」と励ましてくれました。運動神経が良くなかった私が、注射で血糖コントロールをしながら10歳から競技に挑戦し、日本一になれたのは、母や主治医をはじめとした周りの人の声掛けも大きかったですね。

実験続きでフラフラに…妻は命の恩人

 教員を目指して熊本大教育学部に進学した後、同学年の妻と知り合いました。私の専攻は物理。実験が続き、低血糖になってフラフラしていた時、妻がたまたま見かけて、低血糖を解消するためのジュースを買いに走ってもらったこともありました。妻は命の恩人です。本当は、低血糖の時の補食として自分でブドウ糖を手元に置いておかないといけないのですが。

 私は2010年から、1型糖尿病の患者や家族を支援する認定NPO法人「日本IDDMネットワーク」(佐賀市)の理事をしています。妻も職員です。スタッフ不足から関わってもらうようになりました。ネットワークには相談も寄せられ、内容によっては私が答えます。私が母や周りの人の声掛けに力をもらったように、悩みを悩みで終わらせないようにするにはどうしたらいいか考えながら答えています。

大村詠一(おおむら・えいいち)

 1986年、熊本県生まれ。2008年と2012年の全日本エアロビック選手権大会一般の部男子シングル部門で優勝した。2016年に現役を引退。著書は「僕はまだ がんばれる-不治の病 1型糖尿病患者、大村詠一の挑戦-」(じゃこめてい出版)。

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