マラソン指導者 瀬古利彦さん がん闘病「やり切った」長男・昴は家族の誇りです

(2021年5月16日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

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(川上智世撮影)

25歳で発症 家族一丸で「助けよう」

 長男の昴(すばる)が亡くなって1カ月がたちます。悪性リンパ腫の一種、ホジキンリンパ腫という病気でした。発症は2012年、昴が25歳のとき。そこから9年近くの闘病生活で化学療法、放射線治療などあらゆる治療を受け、何度も入退院を繰り返しました。

 骨の痛みや息苦しさ、吐き気などに苦しむ姿を見るのは親もつらかった。家族全員が「お兄ちゃんを助けよう」と本当に一つになり、何か病状に変化があると、LINEで連絡を取り合って「自分にできることはないか」とすぐに集まるようになりました。

 14年には、骨髄移植をしました。昴は四兄弟の長男で、幸運にも当時16歳だった四男の白血球型が100%適合したのです。四男も「お兄ちゃんのためになるなら」と喜んでドナーに。昴はつらい副作用を乗り越えました。ドナーが弟だったので、気持ちの上での安心感は大きかったのではないでしょうか。

 1年ぐらいで症状が再燃し、すべての治療が終わったかと思った時、病院の先生から「お父さん、新しい薬があります。効くという文献があるからやってみませんか」と言われました。オプジーボという免疫治療薬です。この薬で症状が劇的に良くなり、命が救われました。ただ、これが本当に最後の治療でした。

常に前向き 死の1カ月前に自費出版

 昴は私と性格が正反対で、すごくしっかりした子でした。まじめで曲がったことが嫌い。理論立てて物事を考え、何ごとも慎重に進めました。中学受験の塾でも成績が良くて、「瀬古さんの子どもじゃないんじゃないの」なんて周囲からよくからかわれたものです。慶応大の付属校に入り、中高は野球部。慶応大に進学してからは、環境問題に熱心に取り組んで、社会人になっても続けていたようです。

 闘病中も弱音を吐かず、常に明るく前向きでした。家にいる時は、同居している妻の母との会話が気分転換になっていたようです。妻の母に話し掛けると、とぼけた答えが返ってくる。それをおもしろがっていました。そのことで妻の母も認知症の症状が落ち着き、以前のような被害妄想の症状がなくなりました。

 昴は亡くなる1カ月前、妻の母とのやりとりや治療生活をつづった本を「がんマラソンのトップランナー」と題して自費出版しました。この病気のトップランナーという気概を持って、ぎりぎりの状態の中、同じように病に苦しむ人を励まそうとしたのです。

 本当に家族の誇りです。長い闘病は本人も家族も悔いなく「やり切った」という感じで、お葬式でも参列者から拍手が出るぐらいでした。今はただゆっくり休んでほしいと思います。

瀬古利彦(せこ・としひこ) 

1956年、三重県桑名市出身。1980年代、日本を代表するマラソン選手として世界を舞台に活躍。今も指導者として長距離界を引っ張る。DeNAアスレティックスエリートアドバイザー。次男(31)は昨年、中日ドラゴンズの元投手山本昌さんの長女と結婚。

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