フリーアナウンサー 笠井信輔さん がんが寛解、仕事復帰したが…妻の言葉にハッとした

(2021年2月28日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

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笠井信輔さん(本人提供)

仕事中心の生き方が全否定されて

 2019年秋に血液のがん、悪性リンパ腫のステージ4と診断されました。フジテレビを退社し、フリーになった直後でした。妻は自身の母親をがんで亡くしています。不安だったはずですが、私の前では一度も暗い顔を見せず、「大丈夫」と励まし続けてくれました。

 社会人の長男と次男、高校生の三男の3人の子どもがいます。子育てが落ち着いたこともあり、病気になる前の私は猛烈に働いていました。毎日午前2時に起きて朝の番組に出て、夜は仕事の幅を広げるために年に100本以上芝居を見ていた。他の人にはできない仕事をしよう、評価を得ようと必死でした。家にいる時間は少なく、子どもと向き合うのは、何かトラブルが起きた時に「ちょっと来なさい」と言うぐらい。家の中で威張っている頑固おやじでした。

 でも、がんになり、仕事での自己実現を優先してきた自分の生き方は全否定されたのです。入院中は新型コロナウイルスの影響で友人も見舞いに来られず、家族しかすがるものがなくなった。三男は私の母に教わって作った卵焼きを持ってきてくれ、感動しました。三男とは入院前、スキーに行く約束をしていたのです。口数の少ない子で、自分から何かしたいと言うのは珍しいのに、病気で約束を果たせなくなって、私は妻の前で泣きました。抗がん剤治療はきつかったですが、何かの役に立てればと、闘病生活をブログやインスタグラムで発信し続けました。見舞いを控えていた母も読んでくれていて、フォロワーの方たちのコメントも支えでした。

家族とは、合わせ鏡のようなもの

 昨年4月末に退院して帰宅後も、自室に閉じこもる「セルフロックダウン」を2カ月以上続けました。食事は、家族に部屋の前まで運んでもらっていました。近所に住む母が手作りのずんだ餅を差し入れてくれたり、認知症の父とはテレビ電話で話したり。結婚30周年の記念日には、散歩途中にバラ30本を買ってガレージに隠しておき、妻にプレゼントしました。子どもたちは家事をしてくれるようになりました。

 妻が「治る」と信じ続けてくれた通り、その後、がんが体から消える「完全寛解」と診断されました。でも仕事に復帰するとまた忙しくなり、家族と衝突することも。「あれだけ大変な体験をしたのに、元の笠井信輔に戻ってしまうのですか」。妻にそう言われてハッとしましたね。家族というのは合わせ鏡のようなもの。こっちがしかめっ面なら、あっちもしかめっ面になる。家族のありがたみが身にしみた今の私は、家族の言葉を否定するのではなく、「そうだね」と素直に聞くことを心掛けています。

笠井信輔(かさい・しんすけ)

1963年、東京都生まれ。フジテレビのアナウンサーとして情報番組「とくダネ!」などを担当し、2019年10月からフリーに。昨年11月に闘病生活をつづった著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」(KADOKAWA)を出版。インスタグラムは約27万人のフォロワーを持つ。

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コメント

  • 匿名 より:

    父親の行動力が最高です、参考になりました、今後、頑張ってほしいと思います。

  • 匿名 より:

    忙しくても家族全員を思いだして、病気の時の温かい心使いに感謝 良いです

  • 匿名 より:

    自分の癌になる前までの生き方を何かしら変えて生きたいと思えた。

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