義足のダンサー 大前光市さん かっこ悪いと思っていた父が…事故で左足を失う僕に力をくれた

熊崎未奈 (2021年2月1日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真

両親との思い出を話す大前光市さん(田中利弥撮影)

泥の付いた作業着 コンプレックス

 建築や設計の仕事をしていた父は、昔ながらの寡黙な人でした。軽トラックで毎日現場に行って、泥の付いた作業着を着て、手も真っ黒。思春期の僕は、汚いし、かっこ悪いなあと思っていました。友達の家と比べて裕福ではない自分の家族にコンプレックスがあって、早く家を出たいと思っていました。

 中学校の行事で劇をして舞台をつくる楽しさを知り、高校で演劇部に入部。劇団四季の公演を見たことでミュージカル俳優を志しました。アルバイトをしてバレエや声楽も習い始め、毎日そのことしか考えてなかったですね。

ミュージカル俳優なんて 夢に反対

 父は僕の夢に反対でした。「ミュージカル俳優なんて、一握りの人間しか食えんのやぞ」と。成績も悪くて、将来が心配だったんだと思います。長男だから家を継げとか、建築の仕事はどうだとか、ずっと言われていました。でも、僕は根拠のない自信にあふれていた。「その一握りに入る」と押し切り、大阪芸術大に進みました。母は「この子は好きなことしかできんのや」と送り出してくれました。

 新聞配達をしながら大学には5年間通いました。実家に帰ったのは一度きり。バレエにものめり込み、家族のことを考えている余裕はありませんでした。

 卒業した翌年、あこがれていたプロのダンスカンパニーの最終選考の2日前に交通事故に遭いました。病院のベッドの上で2年ぶりに両親と再会しました。僕の左足はすった後のマッチ棒みたいで、切断するしかない状態でした。

病院のベッド ごつごつした手で…

 そこで父が僕の隣に来て、がしっと両手を握ってくれたんです。「光市、負けるなよ。おまえやったらできるさ」と。相変わらず爪には泥が詰まっていて、ごつごつした手でした。握られた時、体に電気が走ったような感覚があって、不思議と傷の痛みが引いたんです。それまでは親なんていらないといきがっていたんですけど、自分のことを見守ってくれる人がいたんだと思うと、力を感じた。かっこ悪いと思っていた父が、男らしく見えました。

 ぶざまでも力強く、家族のために生きてきた父の遺伝子が僕の中にもある。左足を失い、以前のようには戻れないかもしれないけれど、どうにかなると思いました。

 父は2012年に亡くなりましたが、今でも僕の根底に父の存在があります。リオ・パラリンピックの閉会式では本番前に雨が降って、舞台がぬれてしまったんです。「お父さん、力を貸してくれ」と願いを込めて臨み、力強い演技ができました。

 家族は心配しつつも、やりたいことをやらせてくれた。見守ってくれる家族がいなかったら、今のような強さはなかったと思います。

大前光市(おおまえ・こういち)

 1979年、岐阜県萩原町(現・下呂市)生まれ。県立益田(現・益田清風)高校卒業後、大阪芸術大でバレエや舞台芸術を専攻。24歳の時、交通事故で左膝から下を切断。「義足のダンサー」として活動を始めた。2016年、リオデジャネイロ・パラリンピックの閉会式でソロダンスを披露。2017年にはNHK紅白歌合戦で歌手の平井堅さんと共演し、話題となった。

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