ダンスアーティスト ケント・モリさん 祖母と母から受け継いだマイケルへの愛

(2018年1月21日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真は家族や渡米したきっかけについて話すケント・モリさん

家族や渡米したきっかけについて話すケント・モリさん(中森麻未撮影)

公務員の父はまるでピーター・パン

 小学生のころから体を動かすことが大好きで、週末はいつも外で遊んでいました。友だちやいとこがわが家に集合し、大人数で公園に繰り出しました。その中にはいつも、公務員だった父もいました。子どもと同じ目線で一緒に遊ぶんです。球技や鬼ごっこをしたり、遊びやルールを一から考えたり。父自身がいつも楽しんでいました。

 日本でダンスのワークショップを始めて10年になります。年齢に関係なくダンスを通して人と人がつながり、喜びを分かち合う。その原点は、この週末の遊びにあるのかもしれません。

 父は永遠の少年とされるピーター・パンのような人。おやつは僕と妹のほかに父の分が用意されていたし、いたずら好きで人を驚かすこともありました。

学校で知った「これが世の中か」 

 中学の時、勉強のできる友人と学校で雑巾を投げて遊んでいたら、僕だけが先生にすごく怒られた。「優秀な子を巻き込むな」ということだったんでしょう。ところが、僕の成績が上がると先生の態度は優しくなった。これが世の中かと思いました。子どもから見たら同じ大人でも、父と先生ではだいぶ違う。人によって違いがあるということを、教えられた気がします。

 マイケル・ジャクソンさんにあこがれたのは英会話教室の講師をしていた母の影響。「グランマ」と呼んでいた母方の祖母がマイケルさんの大ファンで、受け継がれたんですね。母が車で聞く曲はマイケルさんやマドンナさん。「なんて格好いいんだろう」と思い、幼稚園児のころからリクエストしていました。

グランマの言葉を胸に、背水の陣で渡米

 衛星放送でグラミー賞の授賞式などを見るようになり、大学進学後、ロサンゼルスでダンスを学ぶツアーに参加してから、その世界への思いはさらに強くなりました。でも行く方法が分からない。ある時、亡くなったグランマが夢に出てきて言いました。「会いたい人がいるなら会いに行け。やりたいことをやるには人生は短い」と。生前にも言っていた言葉。やるべきことをやっていないと気付いて涙が止まりませんでした。

 大学3年の終わりに渡米を決心しました。親から金銭的な援助が得られるのは残り1年。行くしかないと思いました。僕の思いを知っていた家族は反対しませんでした。「大学に在籍したまま行ってもいいんじゃないか」と父は言いましたが「背水の陣で臨みたい」と伝えました。

 家族は海外にも応援に来てくれました。変わらぬ愛情に支えられていると感じます。30代になりましたが、父と同じように遊び心は忘れないでいたい。父親になっても、おじいちゃんになっても、一生夢を見ていたいし、人にも見せていきたいですね。

ケント・モリ

 1985年、愛知県生まれ。21歳で東京理科大を中退し渡米。2008年から2年間、世界的歌手マドンナさんの専属ダンサーを務めた。故マイケル・ジャクソンさんの専属ダンサーのオーディションにも合格したが、マドンナさんとの契約期間中だったため断念した。米国を拠点に、日本でもCMの振り付けや演出、テレビ番組出演などで活躍している。

[元記事:東京新聞 TOKYO Web 2018年1月21日]

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