プロフィギュアスケーター 村上佳菜子さん 離れてわかった母のチャレンジ精神

吉田瑠里 (2021年5月23日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真 村上佳菜子さん

(本人提供)

ドーピングの知識も整体も学ぶ

 3歳からフィギュアスケートを始めました。6つ上の姉が近所で(コーチの)山田満知子先生に習っていて、母は私をベビーカーや自転車に乗せてリンクに行っていました。気付いたら私も氷の上に乗っていた。勉強も運動もゲームも姉に勝てないけれど、「スケートだけは絶対勝つ」と頑張って、小学6年の時に姉より先に7級への昇級試験に合格しました。

 母は姉と私のスケートに付き添うため、薬剤師の仕事を辞め、満知子先生のお手伝いもするようになりました。母もスケートにはまり、ドーピングの知識や整体の勉強もしていました。身近にいる時は母のことを「落ち着きがないな」と思っていたけれど、私が東京で一人暮らしをするようになってから良いところが見えてきました。興味あることに没頭でき、新しいことに踏み出すことを恐れないのは、すごいと思っています。

ソチ五輪 姉の声かけが励みに

 ソチ五輪の前は、出場権がかかった全日本選手権まで苦しかったです。その前の試合でうまくジャンプが跳べず、その後の練習でもリズムが合わなくて悩みました。母の期待と不安も肌で感じていて、抑えきれず、家でお風呂から出た後、裸のまま泣きだしたことも。それを姉が見つけて声をかけてくれました。「かな、大丈夫だよ。頑張れ」って。姉は私が海外の試合に行き始めた頃、家で飼っていたワンちゃんの写真をコラージュした手紙をくれていました。その時も姉の言葉に救われた。全日本の2週間前にプログラム曲を変えることを決心して挑み、総合2位になって五輪に出場できました。

写真

女子ショートプログラムの演技をする村上佳菜子=2014年、ソチ五輪で(内山田正夫撮影)

 子どもから手が離れた母は今、和菓子の練り切りの資格を取るなど、好きなことに挑戦しています。試験に落ちても「次、頑張る」と、そんなに重く受け止めていない。私もテレビの仕事をしたり、子どもにスケートを教えたり、アイスショーで滑ったり。失敗してもいいからいろんなことに挑戦したい。この感情は母から受け継いでいるんだろうと思います。

分からないことはすぐ父に相談

 こんな母を優しく見守っている父の心の広さも大好き。父は会社を経営していて、交友関係も広いんです。私は子どもの頃からスケートを練習していい演技をするためだけに生活してきたから、当たり前のことを知らないことがあります。4年前に現役を引退して社会人になってから、父に郵便物の宛名の書き方といった礼儀を教えてもらいました。今でも分からないことがあると、すぐ父に連絡して相談しています。

 私も将来、子どもができたらいろんなことに挑戦させてあげたい。自分も母のようにチャレンジを続け、楽しい家族をつくっていきたいです。

(村上佳菜子)むらかみ・かなこ

1994年、名古屋市生まれ。フィギュアスケートの2010年世界ジュニア選手権で優勝。2014年ソチ五輪に出場し、同年の4大陸選手権で優勝した。2017年に引退。各地のアイスショーに出演し、テレビ番組の司会やスポーツ取材などでも活躍している。

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