俳優 萬田久子さん 天然で愛されキャラの「大阪のおばちゃん」だった母 今も感じるありがたさ
ヘプバーンと同じ服を着たくて
大阪の実家には小さな洋裁部屋があって、学校から帰ってくると、ミシンを踏んでいる母の姿がありました。押し入れには端切れがたくさん入っていて、本棚にはスタイルブックがずらり。若いころに映画「ローマの休日」の主演女優オードリー・ヘプバーンと同じ服を着たくて洋裁を始めたそうです。結婚してからは家計も助けていました。
私の服は母の手作りで、よく2人で心斎橋や道頓堀の店に生地を買いに行ったのを覚えています。お正月前には、好きなピンクやブルーのコートやドレスを作ってくれて。近所の人たちが私の着ている服を見て「うちの娘にも作って」と母に頼むので、友だちと色や柄違いの服を着ることもありました。
母は明るくて楽天的で、「大阪のおばちゃん」という感じ。天然なところがあり、愛されキャラだったと思います。例えば、私が短大1年でミス・ユニバースの日本代表になったときのことは思い出の一つ。大会当日は朝からリハーサルをしてその後に本番という流れなんですが、リハーサルで、準ミスに選ばれた場合の動きを確認していたんですね。それをたまたま母が見ていて、私が準ミスになると勘違いしたんでしょう。近くの公衆電話から「久子が準ミスになったで!」と親戚中に連絡してしまいました。
父を亡くしてもメソメソしない
私はそんなこととは知らず本番へ。準ミスは代表より先に発表され、もちろん準ミスに私の名前は入っていないわけです。母は「みんなにうそをついてしまい、もう家に帰れない…」とがっかり。でも数分後「日本代表は萬田久子さん」と発表され、本来なら母は腰を抜かして喜ぶところなんですが「これで家に帰れる」とホッとしたそうです。
その年は、私が代表になった2カ月後に父を突然亡くし、そして何かの福引で1等を引き当てた母。本当は大変だったと思いますが「今年は当たり年や」と、メソメソすることはありませんでした。
アルバムに手書きのメッセージ
今回のドラマ「グランマの憂鬱(ゆううつ)」で演じる村の総領・百目鬼(どうめき)ミキは、日常で起きるもめ事を「愛ある喝」で解決へと導いていきます。ミキは凜(りん)としていて母のタイプとは違いますが、愛情深いところは似ているのかもしれません。
母が残してくれた幼い頃のアルバムをめくると、写真の隣に手書きのメッセージが添えられているんです。例えば「生まれてきてくれてありがとう」「あなたを今日から久子ちゃんと呼びます」とか。母の命日は、私の誕生日の4月13日。亡くなって18年になりますが、今も母のありがたみを感じています。
母が使っていた足踏みミシンは今、自宅に置いてあります。昔のボビンって、かわいらしいんですよ。いつか、このミシンで洋服を作れたらいいなと思っています。
萬田久子(まんだ・ひさこ)
1958年、大阪市出身。短大在学中の1978年にミス・ユニバース日本代表に選ばれ、1980年のNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」でデビュー。4月スタートのドラマ「グランマの憂鬱」(東海テレビ制作・フジテレビ系、毎週土曜午後11時40分~)では、村のもめごとを解決する主人公を着物姿で演じている。