女優 有森也実さん 両親が別居…仲を取り持とうと2人を説得

(2019年5月12日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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両親の別居に悩んだ高校時代について語る有森也実さん(高嶋ちぐさ撮影)

地味だったけど両親は「かわいい」

 旅行会社に勤めていた父と専業主婦の母、弟の4人家族で育ちました。父親が圧倒的に強い家庭で、3つ年下の母は、黙って父についていくような人でした。育った横浜では、毎週のように家族でサンドイッチを持って海の見える公園に遊びに行きました。

 母は芸能や舞踊に興味がある華やかな人。ミスコンで入賞して芸能界デビュー一歩手前までいったのですが、婚約中の父が猛烈に反対し、芸能界へのあこがれを胸に秘めたまま結婚したそうです。

 私は引っ込み思案で、地味な女の子でした。小学生の頃は、鼻ペチャで体形もぽっちゃり。そんな私でしたが、父と母はずっと「かわいい、かわいい」と言って育ててくれました。感謝しています。

 中学3年の夏に雑誌でモデルデビューが決まったとき、父は「今でなくてもいいのでは」と言ってましたが、母は「やってごらんなさい」と背中を押してくれました。

父が家を出て、苦しんだ高校時代

 父は、私が高校生の時に家を出ました。宮司をしていた祖父の後を継ぐため、長男だった父が単身、故郷の佐賀に戻ったんです。「家族は1つの食卓を囲むものだ」という家族像にこだわっていた私は、離れ離れになる現実を理解するのに苦しみました。

 当時の私には、両親の別居が仲たがいなのかどうかも分かりませんでした。仲を取り持とうと、2人を説得しました。家族の形についてどう考えているのか問いただし、「中途半端な形で離れ離れに暮らすのなら、いっそ戸籍上も離れ離れになってしまえ」と言ったこともあります。

 父は佐賀で宮司として、母は東京で芸能活動をする私を支えて。2人ともそれぞれの場所での生活に手いっぱいだったんでしょう。

母の遺品から、大量のラブレター

 2006年に母に胃がんが見つかりました。既に末期で、しばらくは母と父、弟に知らせず、1人で母を支えました。末期と言われたものの、驚くほどの生命力で9年間闘病した母を、最期は在宅でみとりました。

 母の死後、遺品を整理していたら、父と母が結婚前に交わしていたラブレターがいっぱい出てきたんです。それはそれはすてきなラブレターだったの。相手を思う気持ちが痛いほど伝わってきて。父は照れていました。母の2年後に父も肺がんで亡くなりましたが、2人のラブレターは今も大事にとってあります。

 家族が離れ離れでいるのがつらかった時期もあったけれど、今は、あれが父と母、2人のスタイルだったのかな、と思います。こういう夫婦もあるんだな、離れてもつながっていた2人に、私、巻き込まれちゃったんだな、って。

有森也実(ありもり・なりみ)

 1967年、横浜市生まれ。中学3年、モデルで芸能界デビュー。1991年のドラマ「東京ラブストーリー」で注目される。2017年に映画「いぬむこいり」で主演。6月3日から東京都渋谷区の紀伊国屋サザンシアターで、こまつ座公演「化粧二題」に内野聖陽さんとダブル主演する。

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