〈あべ弘士 子どもがおとなになる間〉vol.6 人間と動物を分けるものとは

  旭山動物園の飼育員として働いているころ、目の前の動物を見ながら、「人間と動物の違い」についてよく考えていました。

 「道具を使う」というのが一つあるけれど、ラッコはおなかの上で石を使って貝を割るし、アマゾンにすむオマキザルっていうサルも堅い実を石の上で割って食べたりする。


<前回はこちら>vol.5 親離れ・子離れできないのは人間だけ


 その意味では、火を使えるというのは重要だな。火を使えるようになって、人類は明かりや暖房を手に入れた。食べ物も火を入れるとおいしく、栄養価が高くなるし、子どもたちも食べられるようになる。

 でも、何と言っても動物と人間を分けているのは「言語」です。「音声」でコミュニケーションを取る動物ならたくさんいます。鳥の雄が縄張りを主張してさえずる「テリトリーソング」は有名ですね。虫も雄が雌を引きつけるのに音を出す。哺乳動物ではオオカミの「遠ぼえ」がよく知られています。離れたところにいる仲間に連絡を取ることもできる。

 人間にはこうした動物たちよりもさらに豊かにコミュニケーションできる言語がある。それぞれ素晴らしい特色を持っている動物に対して、人間が対等な存在感を示せるとしたら、それは言葉で伝え合うことができること。それをしなくなったら何も残らないんじゃないかな。

 僕は絵描きだけれど、絵を描くときも、言葉が絵よりも先にあるような気がしています。言語を通して想像して、創造している。例えば色を塗る時に「あの緑色はこっちと違うな」「このコバルトブルーに白を混ぜよう、同じ白でもこっちの白の方がいいな」とかつい言葉を口にしながら描いているんだよね。

 でも、情報技術の進歩など急速に社会が変わる中で今、人間はその言語を手放そうとしてるんじゃないかと感じてしまいます。メールなどでのやりとりが主になって、親子でいてもお互いにしゃべらないでスマホを見てたりするよね。

 古代アメリカ大陸に生息していて、牙が異様に大きくなったスミロドン(剣歯虎)とか、ヨーロッパにいた角が三メートルを超えるほどになったオオツノジカとかは、進化の末に絶滅してしまった。相手より立派になって優位に立とうとして生き物は進化する。でも、それが行き過ぎるとスミロドンのように「進化の袋小路」に入っちゃう。今の人間は、なんだかこれに似ているなあという感じがしてしまって。そんな社会で育つ子どもたちがちょっと心配です。

 赤ちゃんや小さい子どもに親が言語を伝えていくときは、シンプルだけど、膝に乗っけて絵本を読んであげるのがとてもいいんじゃないかな。僕がこれまでに出した130冊ほどの絵本のほとんどは動物がテーマ。この世界には人間だけじゃなくて、いろんな動物が生きていることを分かってくれたらうれしいし、そこから、じゃあ人間って何だろう、って考えるようになってくれたらいいなと思います。(文と絵・あべ弘士)

 動物の命を描いた多くの作品を手がけている絵本作家のあべ弘士さんから、子育て中の人たちや子どもにかかわる人たちへのメッセージを月1回、お届けします。