今も愛される画家・谷内六郎の子育て観「すべての子どもは天才である」 決して叱らず、優しく、真剣に

安達恭子 (2021年10月27日付 東京新聞朝刊)

週刊新潮」の表紙絵「ミシンの音」 1963年、横須賀美術館・谷内六郎館蔵 ©Michiko Taniuchi

生誕100年 横須賀美術館で記念展

 「週刊新潮」の表紙絵で親しまれた画家・谷内六郎(1921~81年)。生誕100年の今年、記念展が神奈川県の横須賀美術館で開かれ、再び注目を集めている。その絵を見る者に、幼いころ抱いた恐れや楽しさを思い起こさせる画家は、子育ての時間を大切にしていた。画家の子育て観は、今なお色あせず長女・谷内広美さんの胸に残っている。

今のクリエーターも憧れる存在

 「絵の詩人」とも呼ばれた谷内の作品には、子どもが多く描かれ、幼少期の夢のような不思議な魅力がある。親交があった美術家の横尾忠則さんやクリエイティブディレクターの佐藤可士和さん、絵本などを制作するクリエイティブユニットtupera tupera(ツペラツペラ)さんら、多くのアーティストに今も愛されている。

世田谷区の自宅前にある壁画「上之台遺跡」の横に立つ谷内広美さん(由木直子撮影)

 谷内は渋谷区の恵比寿に生まれ、世田谷区で育った。喘息(ぜんそく)の持病がありながら絵を描き続け、漫画家の近藤日出造(ひでぞう)が「驚くべき鋭敏な詩的感覚」と絶賛した想像力は、59歳で亡くなるまで尽きることはなかった。

 1958年に人形作家の熊谷達子(みちこ)さんと結婚し、2人の子を授かる。谷内が家族と暮らした世田谷の家は、建物こそ新しくなったが、夫婦が並んで弾いたオルガン、谷内のモザイク壁画などが往時をしのばせる。

ファンから贈られたオルガン。よく夫婦で弾いていたという

ガラスを割ってしまった息子に…

 社交嫌いの谷内が家事・育児を担当し、達子さんが外に交渉に出かける当時では珍しい家庭で、広美さんは育った。「私には父が家にいるのが日常。弟の太郎も一緒に3人で、同じ画用紙に絵を描いて遊んだ」と、懐かしそうに語る。

 「すべての子どもは天才である」と繰り返し訴えた谷内の子育ては、優しさと驚きと楽しさに満ちていた。決して叱らず、「間違ったことはしてはいけないよ」と諭すだけ。広美さんが誰かに嫌なことをされた時は「何でそんなことしたんだろう、一緒に考えよう」と、とことん子どもの話に耳を傾けた。

自宅で遊ぶ幼いころの広美さん(左)と谷内六郎=谷内達子さん提供

 弟がトイレの扉のガラスを割ってしまったことがあった。達子さんが怒って手を上げると、谷内は「ちょっと待って」。プラスチックの下敷きに絵の具で色を付け、ガラス代わりに窓にはめ「さあ、これでいい」。ステンドグラスのような美しい窓に、達子さんの怒りも消えた。

ままごとの入浴で池にザブザブ

 まるで子どものような心を感じさせる逸話も。広美さんと、真冬に庭でままごとをしていた時のこと。谷内は、いきなり池にザブザブ入っていった。達子さんが慌てて家から飛び出すと「(ままごとの中で)お風呂に入るところだった」と答えたという。

 優しくあること、何事も真剣に取り組むこと。広美さんは「生きていくために必要なことや自分の頭で考える大切さを、父との遊びの中で教わった」という。今は広美さんも小学6年の娘の子育て中。周囲には習い事などに追われる子も多いが、「今、この時は一生の中のほんの一瞬。塾や習い事をひとつやめて、もうちょっと子どもと遊んであげたら…」と感じている。

 週刊新潮の表紙に作品『ミシンの音』が掲載された時の「表紙の言葉」には、こうある。「ミシンを踏む音が汽車の音のリズムになってひびき、緑の布地は広い畑となり、汽車は行けども行けども畑の平野を走ります」…。子どもの頃、同じような空想をした人は多いのでは。「いつ見ても古くならない絵だと思う。今の人が父の絵を見てどう思うのでしょうか」と、広美さんは笑顔を見せた。

 「生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」は、12月12日まで横須賀美術館で開催中。谷内の生き方や言葉を絵とともに紹介した画文集「谷内六郎のえのぐ箱 想像のひきだし」(東京新聞)も今月、発売された。

谷内達子、谷内広美監修「谷内六郎のえのぐ箱 想像のひきだし」

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2021年10月27日

コメント

  • 教育の原点、人としていかにあるべきかを伝えてくれる話ですね。