怒鳴る母のようにならないと誓ったのに… 「支配」から抜け出したい 理研のプログラムで私は変われた

浅野有紀 (2023年3月24日付 東京新聞朝刊)

心のてあて 虐待防止研究の現場から・中

子どものいたずらへの対応について、アンケートで受講前は「口でしかる」と答えたが、受講後は「なんらかの方法で分からせる」に変わった=県内で

依存…「子は親の言うことを聞くもの」

 物心ついたころから母親に怒鳴られて育った。お祭りで「イカが食べたい」と言っただけで怒られた。ささやかな願いさえも拒絶され、支配される。テレビを見て涙を流したり、近所で困っている人がいるとすぐに助けに走る母は、自分の前では別人だった。

 埼玉県内の近藤祐子さん(40代)が子ども時代、つらくても耐えたのは、「我慢は美徳。子は親の言うことを聞くものだ」という母の教えがあったから。高校生になると幻覚が見えた。菓子パンを取りつかれたように食べたことも。5、6個買ってしまい、食べないよう冷凍庫にしまっても、硬くなったパンをかじっては下剤を飲む生活が10年続いた。

 働き始めたころ、母ががんの宣告を受けた。余命5年。母がいなくなったら自分も消えるような恐ろしさを感じ、いかに依存させられてきたかに気付いた。「このままじゃいけない」と考え、自立の一歩として結婚した。母は初めて喜び、挙式翌月に息を引き取った。「すごい達成感なんですよ。母が亡くなった悲しみより、初めて認めてもらえたという達成感満載でした」

似た境遇どうし、生い立ちを吐露し合う

 2013年に長男が生まれた。「絶対に母親のようにはならない」と育児本を読むが、書かれているように接することができない。幼稚園に入るころには、支度の遅い息子に「早くして」と怒鳴っていた。パズルを「教えて」と請われても「そんなの自分で考えろ」。自分が母にできなかった要求を簡単にしてくる息子が怖くなった。

 どうにかしたくて、理化学研究所の研究にたどり着いた。案内されたプログラムは、親が自分の傷つきを自分で癒やす「MY TREE(マイツリー)」。2020年10月から半年間、千葉の会場へ通った。

 似た境遇の保護者が集い、互いの生い立ちを吐露し合う。誰にも話したことのない母からの暴言。「今しかない」と勇気を出すと話が止まらなかった。抱えていたものが降りていく感覚。感じたことのない温かい空気に包まれ、不思議と“大丈夫”と思えた。修了後にメンバーと撮った写真を部屋に飾った。「心の安全基地」として。

遊びながらの声掛け イヤホンから指示

 PCIT(Parent Child Interaction Therapy=親子相互交流療法)というプログラムも受講した。自宅で子どもと遊ぶ様子をパソコンを介してセラピストに見てもらう。「積み木積めたね」「すごいね」などの声を掛けるタイミングを、イヤホンで教えてもらいながら実践する。今まで言ったことのない言葉たち。家の中で息子と一緒に遊んだのは、この時が初めてだった。

遊びを通した支援プログラム

 長男が小学生になった今も、「教えて」と請われた時にこたえられない。ただ、怒鳴らず「お母さん、教え方上手じゃないから先生に聞いてみて」と説明できるようになった。「早くして」という気持ちは今でもあるが、「困るのは本人ですもんね」。自宅を出るべき時間を伝えて、イライラしたらその場を離れることを意識している。

 「親ががんばりすぎると子どもにとってストレス。穏やかでかりかりしないでいられる方がいいと分かりました」

心のてあて 虐待防止研究の現場から

 児童虐待を食い止めるには保護者側の心を手当てすることが大切だとして、理化学研究所(埼玉県和光市)は、子どもとの関係に不安を持つ保護者らに、さまざまな支援プログラムで学んでもらう試みを行った。昨年5月までの約6年間実施した結果、たたくことが減るなど、受講者に変化が見られた。プログラムで何が変わったのか、受講した3人の保護者に前後を振り返って語ってもらった。

〈上〉〈上〉「一緒にいじめてただろ!」息子の言葉で目が覚めた 夫の暴力を見て見ぬふり、私も加害者だった

〈中〉怒鳴る母のようにならないと誓ったのに… 「支配」から抜け出したい 理研のプログラムで私は変われた

〈下〉双子のかんしゃくに疲れ果てたが…「発達段階に合った交渉」で親も子も尊重する子育てへ

〈番外編〉双子のかんしゃくに疲れ果てたが…「発達段階に合った交渉」で親も子も尊重する子育てへ

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元記事:東京新聞 TOKYO Web 2023年3月24日