ノンフィクションライター 最相葉月さん 30年の介護生活 母が身をもって教えてくれたこと

大森雅弥 (2024年4月7日付 東京新聞朝刊)

最相葉月さん(本人提供、平瀬拓さん撮影)

何度も「もう限界」と思ったけれど…

 母が脳出血で倒れたのは54歳の時でした。体の自由を奪われ認知症にもなって、2020年に84歳で亡くなりました。途中父もがんを病み、私の介護生活は遠距離を含め30年に及びました。

 介護中は何度も「ああ、もう限界」と思ったものです。何しろ長期に家を空けることができない。仕事も制限され、やりたかった留学や海外旅行も諦めざるを得ない。正直親を恨みました。

 そんな意識が180度変わったのは、2022年に出版した『証し』の取材の時です。日本においてキリスト教を信仰する人たちの話を聞くために6年間、全国を歩きました。それは一人一人の人生における危機や困難を伺う旅でした。皆さんはどうやって危機や困難を脱したのか。普通なら自分の努力でということになると思うのですが、神の導きによって今があるんだと言うのです。

 そんなふうに人生を捉えることで新たに生き直すことができた方々を見続けるうちに、ある日突然「そうか」と思いました。今まで親に大きな負担を強いられてきたと思ってきたけれど、違うんじゃないか。

 できなかったことはたくさんあるけれど、得られたものがそれ以上にある。人はどう老い、死んでいくのか。自分の思い通りにならない人とどういうふうに生きていくか。母は今、普通ならできないことを身をもって教えてくれているのだと。その体験記など、この15年間のエッセーをまとめた『母の最終講義』(ミシマ社)を1月に出版しました。

心に残ることはこれからつくればいい

 そう気付いてから、介護への覚悟が決まりました。元気なころの母のことは思い出さなくなりました。もう別人になってしまったのだから思い出しても仕方がない。心に残ることはこれからつくればいいと思って。それは子どものいない私にとっての子育てのようなものでした。

 ヘルパーさん、ケアマネジャーさんなど、たくさんの方に支えられていることへの感謝も深まりましたね。特に皆さんが持っている介護の知恵には随分助けられました。

 例えば、母が携帯に電話をかけてきて、出ても無言で切る「ワン切り」に悩まされてきました。日に30回かかることもあったので。それを介護経験者に話したら「寂しくて電話したけど、その瞬間に何をしようとしていたか忘れてしまうのでは。あなたからかけてみたら」とアドバイスしてくれたんです。

 母が亡くなった時、ちゃんと見送ることができたという達成感がありました。「お疲れさまでした」という感じで。母にも自分にも。終わってみると、しんどかったことはほとんど忘れている。そこが子育てと違うところ。つき物が落ちたように、スッキリしたのを覚えています。

最相葉月(さいしょう・はづき)

 1963年、神戸市出身。関西学院大卒。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療などをテーマに執筆。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大仏次郎賞、講談社ノンフィクション賞など)、『青いバラ』『セラピスト』『中井久夫 人と仕事』など。