特別養子縁組家庭で育った男性の本音「僕のように1人で悩む子を減らしたい」当事者らの声届ける全国フォーラムを立ち上げ

 生後間もなく乳児院で育ち、2歳の時に特別養子縁組で家庭に迎え入れられた「みそぎ」さん(28)。自らの出自を知り「生まれてきてよかったのか」と1人葛藤した。「子どもが1人で悩まなくていい社会をつくりたい」と、全国の当事者と支援者、国の関係者が集うフォーラムを立ち上げた。

 特別養子縁組制度が1988年に導入され36年。縁組家庭をとりまく現状を変えていこうと奔走する当事者の思いを2回にわたって紹介する。 

①相談先のなかった養子当事者(このページ)
つらいと言えない子育てを変えたい

会社員のかたわら当事者団体を運営するみそぎさん

17歳・・・遅かった親からの真実告知

 いつも成績を気にして口うるさい親だけど、血のつながりを疑ったことはなかった。

 生みの親が別にいると知ったのは、高2の冬。父が勧める大学合格へ向け、毎日つきっきりで指導されていたころ。数学でどうしても解けない問題があった。何度言われても間違えるみそぎさんにしびれを切らした父は「俺の子じゃないから解けないんだ」と口を滑らせた。母は動転し「20歳まで言わないって言ったのに!」と泣いた。

 妙に納得した。この人たちも、自分との関係に葛藤を抱えていたんだ。

 この時は深く悩まなかったが、苦しくなったのは大学に進学後。1人の時間が増えて、ふと「生まれてきてよかったのか」「自分が生まれたことで、生みの親の人生を壊したんじゃないか」と考えるようになった。うまく眠れず、おなかがすいても食べ物がのどを通らない日々が長く続いた。

ルーツにたどり着くも心は晴れず

 「自分のことを知りたい」。今の戸籍の1つ前の「従前戸籍」を取り寄せ、そこにあった住所を訪ね歩いたり、児童相談所へ情報開示請求をしてみたり。開示された資料の中には、生後間もなく紙袋に入った状態で、電話ボックスに置かれているところを発見されたという当時の新聞記事もあった。預けられた乳児院には、運よく当時の職員がいて話を聞くこともできた。

 赤ちゃんのころの自分をかわいがってくれた職員がいたという事実は、今でも落ち込んだ時の励みになっている。ただ、自分の出自を知ることができても、心のもやもやは晴れなかった。

 自分と似た立場の人と会ってみたくて、NPO法人が主催する里子の交流キャンプにボランティアとして参加した。厚生労働省のネットワーク形成事業の交流会にも参加し、里子や児童養護施設の子どもたちと政策提言などについて話し合った。里子や施設出身者の当事者団体は複数あるが、特別養子縁組の子どもの活動は見つけられず、いつか当事者のネットワークをつくろうと思い描いた。

ほとんどなかった当事者団体を設立

 卒業後に上京し、就職したタイミングで、特別養子縁組家庭支援団体「Origin(オリジン)」を立ち上げた。2020年4月4日の養子の日。月1回、オンライン上や時にはリアルで、養子と養親がそれぞれ集まり相談や雑談をして交流する。「自分がしんどかったことを少しでも今の子どもたちが感じないですむようにしたい」。日ごろからつながることで、当事者がしんどくなった時の受け皿になりたいと考えている。

 病気や虐待などで、実の親に育てられない子ども(要保護児童)は約4万2000人。2016年の児童福祉法改正で、子どもたちの養育の場を施設から家庭的な環境へとの方針が打ち出されているが、2022年3月末時点で、児童養護施設に入所する子どもは約2万3000人。里親に委託された子どもは年々増えているものの、約6000人。同年の特別養子縁組成立件数は、580件にとどまる。

表

課題を国に届ける全国フォーラム 

 「Origin」の活動を続けるうち、養子だけでなく養親も孤立していたり、支援機関も手探りで活動したり、それぞれが悩みを抱えていると知った。課題を持ち寄り、話し合いを公開して国に届けようと、昨年2月に「特別養子縁組当事者による全国フォーラム」を立ち上げた。フォーラムは、厚生労働省(現・こども家庭庁)の事業として採択された。養親・養子当事者だけでなく、里親会や乳児院、児童相談所や児童養護施設で縁組支援に携わる人、民間のあっせん団体や縁組に取り組む産婦人科などを対象とする。

 初回はオンライン開催し、82人が参加した。今年2月の第2回は、オンラインとリアルの両方で250人に増えた。フォーラムでは「どんなネットワークをつくればいいのか」と「それぞれの声を聞こう」という2グループに分かれて意見交換。参加した養子の男性は「なかなか出会うことのない当事者と知り合えた。情報を共有する大切さを感じた」、養親の女性からは「養子当事者の話は、我が家で直面している課題と重なる点が多くあり、とても勉強になった」などと感想が寄せられた。

 みそぎさんは「どんなことに困っているのか、話し合いを国に見てもらい、当事者の声を届けていきたい」と話している。

                          

特別養子縁組とは

 親元で暮らせない子どもを家庭環境で養育する制度。1988年に導入された。実親との法的関係が残る普通養子縁組と異なり、戸籍上も養父母が実親扱いとなる。2016年の児童福祉法改正で、施設より家庭へとの方針が打ち出されたが、22年の特別養子縁組の成立件数は580件で、3年連続で減少している。

①相談先のなかった養子当事者(このページ)
つらいと言えない子育てを変えたい
9

なるほど!

20

グッときた

3

もやもや...

20

もっと
知りたい

すくすくボイス

  • kana八ヶ岳高原 says:

    私は78歳養子当事者ですが、この青年のような「生まれて来ないほうがよかったのか」と思い悩んだことは一度もありません。

    明治生まれの父は高学歴ではなかったけれど、人格豊かな人でした。私は愛されていました。自分で言うのもなんです良い子でしたので親を怒らすことはしませんでした。がたった1回だけ、思いっきり殴られたことがありました。それも愛情の証に思えたことです。

    なので、「養子」であることで思い悩むことはありませんでした。ただ、今にして思えば、22歳のときに<真実告知>をされましたが、かなり動揺はあったようです。が、その後も父とは良い関係を保つことができました。

    ですので、私の経験からすると、今は<真実告知>は早いほうが良いとされていますが、私ももし10歳の時にされていたら、思春期以降、あのように穏やかに過ごせただろうかという思いは正直あります。

    <真実告知>については、心理学や精神医療の分野からの研究がさらに深められていくことを期待しています。

    kana八ヶ岳高原 男性 70代以上

この記事の感想をお聞かせください

/1000文字まで

編集チームがチェックの上で公開します。内容によっては非公開としたり、一部を削除したり、明らかな誤字等を修正させていただくことがあります。
投稿内容は、東京すくすくや東京新聞など、中日新聞社の運営・発行する媒体で掲載させていただく場合があります。

あなたへのおすすめ

PageTopへ