妻の闘病中、看護師さんに救われて…いま感謝とともに伝えたいこと〈清水健さんの子育て日記〉55
看護学校での講演 病と向き合って
「気分転換にランニングに行かない?」と息子を誘い、1周5キロある公園のコースに向かう。久しぶりのランニング、誘った僕の体がついてこない。「少し歩こうか!」。疲れているのがバレないように、明るく息子に提案する。
「歩いたら意味がないよ。ゆっくりでもいいから走ろう」と息子にもっともなことを言われ、追いかける。ちょっとした気分転換のつもりが、本格的なランニングに。体力もついてきた! 先を行く息子の背中がたくましく見えた。
先日、看護学校での講演がありました。これから命の現場へと向かう看護学生に、病と向きあわざるを得なかった家族の立場として、みんなならどうするだろう?と何度も問いかける。
病への向きあい方はそれぞれ。全部に対応するのは大変だと思う。正直、無理なこともあると思う。僕が話せるのは、一つの家族のカタチでしかないけれど、みんなそれぞれに、自分の看護観と照らしあわせる時間になっていればうれしい。
あの時、赤ちゃんだった息子も小3に
妻の腕には、点滴、血液検査、治療、注射の痕がいくつもあった。もう針をさす血管がみつからなくなった時、担当の看護師さんは、それでも、何とか細い血管を見つけてくれて、「大丈夫! この血管は元気だよ!」と、笑って妻の腕を優しくさすってくれた。無理した笑顔だったと思う。
これからへの不安。本人、その家族は、周りが見えなくなってしまうことがある。不安に押しつぶされそうになっても、無理して強がることもある。僕たちもそうだった。そんな時、看護師さんの言葉、表情ひとつにどれだけ心を救われるか。
「あの時」の感謝を込めて、全力でみんなに伝えたい。治療はもちろんだけど、患者さん、ご家族の心に気付ける看護師さんになってほしい。でも、何よりも、まずは、みんな自身が一番に、幸せな人生を歩んでほしいと心から願う。
あの時、赤ちゃんだった息子は小学3年生の後半をむかえた。毎朝、一緒に歯を磨き顔を洗う。毎日のことだけど、ハッとすることがある。こんなに身長、高かったかな? 鏡にうつる息子の顔が立派な少年になってきた。
「行ってきます!」、妻の写真の前で手をあわせ、いつもと同じように息子は学校、僕は仕事へと家を出る。「いつも」があることに、感謝しかない。
清水健(しみず・けん)
フリーアナウンサー。8歳の長男誕生後に妻を乳がんで亡くし、シングルファーザーに。
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