教員の「過労死」で、遺族は公務災害を直接申請できない 認定に高いハードル…「家族の会」が訴え
元アメフト選手 生徒に慕われた夫が
義男さんは元アメリカンフットボールの選手。1990年に中学の保健体育の先生として働き始めた。好きな言葉は「闘魂」。熱い性格で「何でも話を聞いて、味方になってくれる」と生徒から慕われた。
2007年、横浜市立あざみ野中に転勤。転任直後で生徒指導専任となり、弱音を吐かない義男さんが「つらい、しんどい」とこぼすようになった。修学旅行の引率で不眠不休となり、頭痛でようやく行けた病院内で倒れ、6月25日、くも膜下出血で亡くなった。
前任校から毎朝7時には出勤し、午後9時ごろに帰宅後も残業する日々が続いていた。過労によるもの、と確信した祥子さんは公務災害申請を決めた。
公務災害の申請は校長・教委を通して
企業の労災申請と違い、教員の場合は「地方公務員災害補償基金」に申請する。基本的に遺族が直接申請できず、所属長(校長)と任命権者(教育委員会)を通す必要がある。学校側の協力が不可欠だ。
祥子さんは同僚への聞き込みをし、発症前の職務従事記録などの申請書類を作ったが「夫が亡くなるまでの過程を何度も何度も確認しつらかった」と振り返る。自らも小学校教員として働きながら娘2人の子育て、申請の心労が重なり、過労で倒れた。「当時のことはほとんど覚えていない。娘から『お母さん死なないで』と言われていた」
1度目の申請で不認定とされ審査請求をし、13年1月にようやく公務上の災害と認定。義男さんが亡くなって約5年半がたっていた。「遺族の声が届きにくく、公平性を保てない仕組み」と指摘する。
講演を続ける祥子さんの元には、過労死とみられる教員の遺族から連絡が来る。「同僚は口をつぐみ、校長は『何もなかった』と言う。冷たい態度に遺族はさらに傷つく」。遺族の多くは、公務災害申請をしていない。
教員の残業 月平均120時間を超える
連合総合生活開発研究所は9月、教員の労働時間に関するアンケート結果を公表。残業は月平均123時間16分で、厚労省が示す「過労死ライン」の80時間を大幅に超えた。「本当に死んでしまうラインのことなのに、ただの線になってしまっていないか。対応への本気度が感じられない」と憤る。
現場には踏ん張る先生や、教師を目指す若者がいる。祥子さんは「生活時間を大切に働いてほしい。相談機関もある。抱え込まないで、自分と大切な人のことを思ってほしい」と願う。
コメント