三上絵里参院議員 共働きでも、無理しないで。周りを頼って、今しかない子どもとの時間も大切に〈ママパパ議連 本音で話しちゃう!〉

参院議員の三上絵里さん=東京・永田町の参院議員会館で(松崎浩一撮影)

 参院議員の三上絵里です。前回のコラムを担当された参院議員の宮口治子さんからバトンを受け取りました。宮口さんからはこんな質問をいただいています。

 「三上さんはアナウンサーとして働きながら、2人の子育てをされてきたと聞きました。仕事との両立は本当に大変だと思いますが、どのように取り組まれてきたのでしょうか」

 ご質問にもあるように、私は広島のテレビ局のアナウンサーや記者として働きながら、2人の娘を育ててきました。今、長女は大学3年生、次女は高校2年生です。夫も子育てには協力的で、常にお互いのスケジュールを確認し合いながら、保育園のお迎えはどっちが行くかとか、話し合って子育てしてきました。

長女が4歳、次女が1歳のころ、夫と保育園の夏祭りにて(本人提供)

 長女は初めての子だったので、保育園に預けるのが心苦しくて、車で40分ぐらいのところにある私の実家に託していました。朝5時に自宅を出て、両親に預けてから出勤といった感じです。両親もぎりぎりまで頑張ってくれていたのですが、3歳ぐらいになると「もう身が持たん」と。

 それで保育園に入園しました。一番助けられたのは、夜8時までの延長保育が利用できるようになり、園で夕飯まで食べさせてくれるようになったこと。迎えに行ったら、あとは寝かしつけるだけです。ただ、心の中で、子どもに申し訳ない気持ちもありましたが、途中で取っ払いました。野菜など、栄養バランスがいい食事を園でいただけるので、大変ありがたいです。

時間に追われる毎日で子どもを… 

 次女のときは、保育園に預けることに抵抗はありませんでした。お迎えも、同じ園に預けている同僚に頼んで、一緒に連れて帰ってもらい、そのおうちにピックアップに行くことも。通常の保育園の後、無認可保育園に預けて、深夜に自転車で迎えに行く日もたびたびありました。

 本当に時間がない生活の中で、例えばエレベーターに乗って、子どもたちには降りる階の数字を押すよりも「先に閉まるを押しなさい!」と急がせるくらい。保育園に迎えに行くのを忘れたことも、3回はあったかな。「私、絶対何かを忘れている…。何の資料だっけ? あ、子どもだ!」と、やっと気付く。

次女(手前)に絵本を読み聞かせる長女(本人提供)

 保育園のころから週2回、図書館で本をたくさん借りてきて、リビングに置いておいたのは良かったです。読んであげる時間はないので、自分で読んでもらって時間をつぶすため。最初は1人1、2冊だったのが、小学生になると1人が借りられる最大の10冊借りて、数十冊をスーツケースで持ち帰っていました。間違えて同じ本を借りてきて、「ママ、これもう読んだよ」と、娘に指摘されることもありました。今も、子どもたちは読書が習慣になっているようです。

小学校の行事はほとんど参加できず

 夫は料理だけはできない人だったので、親としては子どもを食べさせることがとにかく大変でしたが、その他は全部やってくれる人でした。小学校の後は学童には行かずに、毎日送迎付きか、自分で通える距離の習い事をいれて乗り切りました。授業参観や運動会、卒業式などの行事は、私は参加できないことが多かったです。

 というのも、アナウンサー時代は週末も、イベントの司会などが入ります。朝10時からの番組を担当していたときは、6時には出勤していないといけません。新聞記事を読んだり、それまでにあったことを調べたり。夕方のニュース番組に担当が変わると、生活もがらっと変わります。仕事に合わせる生活ですね。通勤時間は自転車で15分だったので、昼休みに自宅に戻って夕飯の準備をしていました。

 夏冬の家族旅行中も仕事をしていました。だから家族の中で、私だけ思い出が違うんです。家族が遊園地で遊んでいるときに、私は車の中で寝ていましたから。アナウンサーを20年やった後に、記者を6年、子ども向けイベントの運営などをする業務部を3年。それぞれ忙しかったです。

3歳になった次女と運動会(本人提供)

 私の母は専業主婦、父は厳格な警察官で厳しく育てられました。自分も母のように「おかえり」と言ってあげる親になるんだと思っていたから、まさかずっと働くとは思いもしなかった。母も私がこんな生活を選ぶと思わなかったと言っています。

 最初からずっと仕事を続けようと思っていたわけではなくて、本当にその時々の流れで、辞めるタイミングもなく今まできました。夜寝る前には「明日絶対辞める」と思っていても、朝起きたら「また行こう」みたいな。仕事で山ほど失敗はしていますが、番組を持っていたら辞められない、立場が上になると下を育てなくてはいけない、と全く辞めるタイミングはありませんでした。もちろん仕事が楽しいからということもあります。夫も好きなように生きろという人で、誰も私が働くことに反対しませんでした。

それでも子どもはたくましく成長

 子どもが小さいころは、もっと一緒にいる時間を作ればよかったなとは思います。子育てをしながら働くということが、なかなか社会に浸透していない時代だったので、行事に参加することは簡単ではありませんでした。ただ、今の人に伝えたいのは、働いていても無理をせずに、周りの人に相談して、子どもと関わって、思い出づくりをしてもらえたらと思います。

 ずっと慌ただしい生活でしたが、子どもからは不満を言われたことはなかったです。お母さんは忙しいもの、というような。夫とも街中で、お互い自転車ですれ違って、手をふる感じでしたね(笑)。

長女(左)と6歳の誕生日をお祝いする次女(本人提供)

政治が大好きな家族に支えられて 

 政治の世界に入ることも、家族は大賛成だったんです。出馬の話があったときも2日間悩んで、知らせずにいました。伝えたら絶対やれ、と言われるだろうなと思って。こういう話があると言ったら、案の定、夫も娘も踊り出すぐらいの大フェスティバル状態。ええ、夫も政治が大好きなんです。あなたが出たら、と100回以上言ったくらい。

 家庭内では父娘3人の生活で、私がいない間、3人はニュース番組を見て私よりよっぽど子どもたちの方が政治に詳しくて。私が1カ月悩んでいる間も、家族からは「やっぱりやったほうがいいよ」「お母さんにぴったりだよ」と励まされていました。

 選挙期間中の18日間、目を開けたまま寝られるぐらい忙しかったです。広島県は広いので、泊まりながら県内を回りました。家族に着替えを届けてもらって。家族はとにかく生き生きとして、楽しそうでした。街頭演説には絶対来ていましたし、勝手にローカルテレビ局からニコニコ笑顔でインタビューを受けているんですよ。本当に出たがり家族みたいでした。

家族とともに臨んだ選挙選を振り返る三上絵里さん(松崎浩一撮影)

 与野党の議員が参加する超党派のママパパ議連には、名前を聞いてすぐ入りました。もっと柔らかい活動をイメージしていたら、さすがに議連なので社会問題について真剣に議論しています。先日はAI技術が発展して子どもの被害が発生し、欧州ではそれらの規制を始めていることについて、欧州の専門家の説明を聞きました。日本でも法制度化すべきだと。また「ブラック霞が関」と言われないよう、国家公務員の働き方改革など、幅広いテーマをみんなで議論しています。

 私も保育士不足や低賃金の問題は、知人の保育士から胸が痛くなるほど聞いています。保育園の待機児童は解消されつつありますが、学童保育は足りていない。小1の壁への支援も、もっと手厚くするべきだと思います。子どもの自殺者数は昨年、513人で過去最多の水準です。少子化対策は重要ですが、今を生きる子どもたちも大事にすべき。私にできることを模索しています。

最後に、次回のコラムを担当される参院議員の芳賀道也さんへの質問です。私と同じアナウンサーで、子どもと過ごす時間をつくることは難しかったのではないでしょうか。働きながらの子育ては大変だったかと思いますが、男性として「子育ての関わり方」のポイントや子育て中の方へのアドバイスはありますか。                 

三上絵里(みかみ・えり)

広島選挙区、1期、無所属。1970年6月、広島市生まれ。サザンセミナリーカレッジ(米バージニア州)卒業後、NHKでのアシスタントを経て、1996年TSS(株式会社テレビ新広島)に入社。アナウンス部、報道部を経て、2022年に退社。長年、広島から平和を訴える朗読ボランティア活動を続ける。22年7月の参議院広島県選出議員選挙にて初当選を果たした。