森ゆうこ参院議員 誰でも子育てと仕事の両立は綱渡り。そこを政策決定する人たちにわかってほしいのに…〈ママパパ議連 本音で話しちゃう!〉

子育て世代がつながる

本音で話しちゃう!のタイトルカット

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 私が国会質問に立つ姿を見て、独身ですよね?とおっしゃる方もいますが、3人の子どもを育てました。今は孫もいます。次女がいま妊娠中ですが、政府の子育て施策は相変わらず「お子様ランチ」。いろいろメニューは揃っていても、どれも十分じゃなくてお腹がいっぱいにならない。「とにかく安心して子どもを産んでください。子どもを産んで育てることに、政府があらゆるサポートをしますよ」っていうことになっていません。11年前に、「チルドレンファースト」と、子育て支援を政策の1丁目1番地に初めて据えた民主党政権を短命に終わらせてしまったことが、本当に悔やまれます。

  ところで私の子育て。前回のコラムを担当された福島瑞穂さんからは、仕事をしながら3人の子育てをどう乗り越えたのか、というおたずねを頂きました。昭和56年、62年、平成元年にそれぞれ長女、長男、次女を産みましたが、当時は私の住む地域に子育てサークルのようなものはなかったし、児童館や学童保育もなかったんです。もちろん共働きの方はいたけれども、地域的におじいちゃんやおばあちゃんに預ける人が多かった。当時、塾を経営していたので、実家の母や同居したお姑さん(2人とも故人となりました)に手伝ってもらいました。私がお姑さんと20年近く同居をしていたというとなかなか信じてもらえないんですが(笑)。

 お姑さんとの関係って、仲がよくても、この社会で一番難しい関係ですよね。孫の子育てをすべてお願いするのはなかなか難しいこともありましたし、実家の母、それから兄弟のパートナー、つまり義理の姉、義理の妹、近所のお友達などいろんな方に頼りました。だから私の代わりに子どもたちを見てくれる人が10人とか20人ぐらいいました。特に2番目、3番目は、より人懐こくて。いろんな方に見ていただいて、自分の子どものようにかわいがっていただいて、それはすごく本人たちのためにも良かったと思います。私が子どものお友達を預かることもありました。例えば、子どもと近所のお友達の2人を自転車の前と後ろに乗せて、団地を一周しながらお昼寝をさせたりとか、一緒にご飯を食べたりとか。だから子育てサークルはなかったけど、毎日が子育てサークルのような感じでした。

 その後、新興住宅街に、どんどん若い住人が増えてきて、子育てサークルや児童館、放課後児童クラブ、そういうものを制度的にきちんと作ってほしいとか、地域のネットワークが必要だとか、人口増に伴う社会的な変化のなかで町に新しい課題が浮上してきました。それぞれの課題を解決するために住民の方たちが動き始めたんです。たまたま一番下の子が幼稚園に入ったときに、教育長さん(故人)から「昼間はもう手が空いているだろうから、社会教育指導員になって欲しい」と頼まれました。今はもうなくなりましたが、その当時の文部省の補助事業で、国と県と町が3分の1ずつ…といっても合計6万円でしたけど給与を出して、講座開設などを中心に、住民の社会教育を行う制度がありました。その社会教育指導員に非常勤の公務員として仕事をすることになったのです。

 そこでの講座を通じて、介護のボランティアグループや、イベント時の託児所・保育ルームを支える人材を提供する保育のボランティアグループを作って、どんどん出てくる新しい問題の解決に取り組みました。住民が参画をして意見を交わす新しいムーブメントが起きました。しかし、町には女性の議員が一度も誕生したことがなかった。それで、どうしても私に選挙に出てほしいという話になりました。それが、私が議員になったきっかけです。

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 気がついたら外堀を埋められていて、もう逃げようがなかったというのが、1999年の地方統一選挙。そのときには、そういうボランティアの方たちを束ねるような立場でした。あれもこれも事務局はすべて私がやっていました。一方で子育ては、いろんな方たちがサポートしてくれた。だから、3人の子育ては大変といえば大変だったけれども、子どもが3人いるおかげで、逆にネットワークが広がりました。だから選挙のときは子どもたちのお父さんお母さんが大応援団になってくれました。

 例えば、子育てのなかで、食事を作ることを義務だと思うと大変だけど、とんかつを作るときは、小麦粉、卵、パン粉で今日は「とんかつトリオだ~」って命名したりして楽しんでいました。お料理も子どもに楽しく参加させる。でもそのためには、かなり余裕を持ってやらなくてはいけません。「急いでやらなきゃいけない」と思うとカリカリするだけ。「ママ何かお手伝いしたい」っていっても「やらなくていいわよ」みたいになってしまう。そうじゃなくて1つの遊びというか、子どもたちが「自分たちがやった」という達成感が得られるものを、毎日じゃないけどできるだけ用意する。だから今も、孫が来るととんかつやサラダをやらせたりします。サラダは、レタスをちぎってパックしたのがコンビニにも売っているけど、あの大きさが重要なんですよね。 それで、孫に「レタスはこの大きさに切るんだよ」って教え込んで。そうすると一生懸命、手でレタスをちぎる。チーズとかハムとか全部型抜きさせる。人参もチンして軟らかくして型抜きさせる。そうすると、素晴らしい盛り付けが完成します。もう本人はドヤ顔ですよ。だから遊びに来ると必ず「ばあば、何かお手伝いすることないの?」と言うんです。

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孫を抱く森さん

 子どもって、親がここ一番っていうときに、具合が悪くなったりケガしたりしますよね。それはやっぱり子どもの本能。親が別のことに集中しているわけじゃないですか。 まったく子どものことを見てない。それを許せないんだよね。危険なことでもあるしね。だから子どもが、「一切こちらのことを見てないね」という危険を知らせてくれているともいえる。 町議会議員になって最初の質問を準備しているときには、一番下の子の具合が悪くなりました。そして国政選挙にでるときには、当時自由党だったから、これから小沢一郎代表が来られて明日はいよいよ総決起集会っていうときに電話がかかってきてね。子どもがサッカーの練習試合で、肩から落ちて鎖骨を骨折したとかね。

 その次に決起パーティーの直前には子どもが交通事故にあった。それが、本人は言わなくて、近所のお兄ちゃんたちが「実は夕方に出合い頭に車にぶつかって…」と教えてくれた。慌てて子どもの自転車を見ると、ひしゃげている。本人は「ボンネットの上で一回転して何ともなかった」というんだけど、親としては「なんで言わないの」となる。でも子どもは「大丈夫だから、大丈夫だから」と。つまり私が国政選挙に出る直前なのに、そういうことで大騒ぎしてしまったら、マイナスになるんじゃないかと思ったようです。しかも、その運転手が私のよく知っている人で、電話をしてみたら、「『大丈夫か』と声をかけたけど、『大丈夫です』という息子さんの言葉で大丈夫だと思った」と。選挙前でどうせ何も言ってこないだろうと思ったのかなと思うと、情けなくなりました。なぜこんなにも子どもに気を使わせてしまうのか、と。まして足元を見られてすごく悔しかったですよ。だから「絶対にそんなの許さない」「関係ない」と言って、きちんと謝罪させました。女性は選挙に出ると、「ちょっとくらいセクハラ我慢しろ」とか、そういったことを言われる人もいます。子どもにまでつらい思いをさせなきゃいけないのか、と思うと悔しかったですね。

 その後当選し、参院議員になると、東京の比重が圧倒的に高くなりました。一番下の子が小学6年生だったと思います。町議会議員のときは地元が活動の現場なので、忙しくても家にはいて、大変でも何とかなりましたが、参院議員になったら、平日はお姑さんにお願いして、週末に帰るという生活です。ところが1年経つか経たないかのころ、週末に帰ると、家の中が1週間掃除してないんじゃないかな、と思うような状況になっていた。子どもたちに食べたものを聞くと、どうもおかしい。義母が体調を崩していたんです。お手伝いさんを頼もうと思ったけれど、義母はなかなかそういうのに抵抗のある人で、毎日私が新幹線で通勤するようにしたんです。今考えるとむちゃで、何でそんなことをしたんだろうと思うんだけど、若いから、子どものためなら何とでもなる、寝なくても平気だと思った。皆そうですよね。仕事と子育ての両立は綱渡りだけど、仕事が忙しいからといって、子どもがきちんとしたものを食べられないというようなことじゃいけないと。そこも完璧にしなくちゃって頑張るわけじゃないですか。それでむちゃをしてしまいました。

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 毎朝6時の始発に乗って国会で質問をし、また次の質問をつくり、いろいろやり、そしてまた大体最終で帰る。そのまま駅に止めておいた車で深夜スーパーによって買い物をして、そして帰宅後に家事。次の日の朝食、給食の無かった息子のお弁当、夕食をそれぞれ準備して、そしてまた始発で出てくる。寝るのは新幹線のなか。終点で知り合いの方たちに起こされたこともあります。当時の国会議事録をみると、本当に毎日のように質問をしている。特別委員会や本会議もそう。でもやっぱりそれはむちゃだった。結局息子に「お母さんもうやめな」って言われて。「俺たちそんな子どもじゃないから。ご飯だって別に一からつくらなくたってお総菜だって売っているし。そんなこと続けていたら死ぬよ」って言われてね。その状況をみた義母も、やっとお手伝いさんに来てもらうことを了承してくれて。でもむちゃがたたったのかしらね。その後大きな病気をして一度死にかけました。だから後輩の女性議員には「そんなに頑張りすぎちゃだめだよ」としつこく言っています。

 国会議員だからじゃなくて、誰でも子育てと仕事の両立というのは本当に綱渡り。だからそこを、政策決定の場にいる人たちにわかって頂きたいのだけれど、ほとんどの方が奥さん任せにしてきた男性です。女性議員でも、私のような状況にいた方はわりと少なかったと思います。今では男性議員も女性議員も子育て世代の人たちは、一般のサラリーマンの人たちと同じような状況で仕事をしていると思うので、もっともっと良い方向に変わっていけばいいと思います。何よりもまず、子どもを育てるにはお金がかかる。「もう1人ほしいけど、それを考えるとちょっとね」となる。だから教育費は、これまでの奨学金をチャラにするような思い切ったことをやらないといけない。何よりも子どもを産み、育てやすい環境を整える。パートナーがいるかどうかは関係ない。事実婚でもいい。ありとあらゆることを認めていく。思い切りが足りないんですよ。

 政治が最大限子育て支援をしていくことはもちろんですが、お仕事と子育てを両立しているすべての人たちに伝えたいことは、自分から心を開いて周りの人達に協力を求めていってほしいということです。お願いをすることって、実はとても難しいですよね。でも「協力してください」と誠実にお願いすれば、手伝ってくれる人もどんどん増える。なかなか難しいと思いますけど、そこを乗り越えてほしい。私の場合も例えば義母にオープンマインドでお願いして、受け入れてもらって、そして私自身の仕事も認めてもらって、支持者の拡大とかそういうところまで、納得して応援してくれるまでにはかなりの時間がかかったと思います。

 最後に次回コラムを担当される高瀬弘美議員に質問です。2歳のお子さんがいらっしゃるそうですね。2歳といったら一番かわいい時期で、天使ですよね。私はいつも赤ちゃんを抱っこしている人と話すときに、「楽しんで」と言うんです。世界は愛で満ちているっていうことをその子が感じることが一番大切ですから。高瀬さん、いま大切な時期だと思うけど、子育て楽しんでますか?

森裕子(もり・ゆうこ)

新潟県選挙区、3期、国民民主党。1956年4月新潟市生まれ。新潟大人文(旧法文)学部卒。1男2女の子育てをするかたわら、英語塾を経営。町の教育指導員として公民館に勤務する間に数々のボランティアグループを組織。1999年に新潟県横越町(現在の新潟市江南区)町議選で初当選。同町初の女性町議に。2001年の参院選に旧自由党公認で出馬し初当選。文部科学副大臣(野田内閣)などを経て、現在は予算委員会理事など。

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