〈奥山佳恵さんの子育て日記〉24・誰もが生きやすくなる「調整」 子どもたちは無意識にできている

(2021年8月27日付 東京新聞朝刊)

もんじゃ焼きの具を入れる係に任命された次男は大はりきりでした

ダウン症の次男、友だち、私で公園へ

 夏休みも終盤。今年の夏も大きなイベントは軒なみ中止でしたが、できる限りの「楽しい」を見つけて過ごしています。ホットプレートで、もんじゃ焼き屋さんごっこをしたり、マイクを購入しておうちカラオケを導入したり。

 次男・美良生(みらい)の同級生の女の子も遊びに来てくれました。彼女には美良生がダウン症であるという概念がありません。私を含めた3人で公園に行き、「鬼ごっこがしたい」と言いました。実は、私も美良生も走るのが不得意で、内心「シンドい遊びになるかも」と思ったけれど、考える前にまず挑戦。なんでもやってみる。そんな思いで始めたら、彼女から早々に「走るんじゃなくて、早歩きにしよう」と提案がありました。私と美良生の足は予想していたより遅かったようです。

「配慮」より「調整」 お互いが対等に

 こういった工夫は「合理的配慮」と呼ばれるものだと思っていましたが、最近、教育学者である池田賢市さんのトークイベントにオンライン参加し、もっと正しい観点で言うと「合理的調整」であることを知りました。

 なるほど。確かにその方がグッとピンとくる。子どもたちが美良生と遊ぶ時に無意識にしてくれていることは「配慮」よりも「調整」だ。みんな、美良生と遊びたいから、どうしたらいいかをその場で考え、「調整」している。「障がいがある子だから支援している」と思って遊んでいる子はいない。調整して、お互いに対等な立場になる。その方が純粋に楽しいから。鬼ごっこも早歩きに調整してくれたおかげで、足の遅い私と美良生も汗だくになって楽しめました。

少数派が生きやすければ、多数派も…

 「できないあなた」を「できる」ようにする、という考え方ではなく、「できないあなた」が「できる」ようにするにはどうしたらいいか。車いすユーザーの方が階段ではなくエレベーターを使うように。その発想が1人でも多くの方に根付いたら、世の中はもっと生きやすくなるだろう。

 最近、私が住むマンションのドアが自動ドアに変更されました。車いすユーザーの方が入居するためのようです。それまでのドアは重いガラス扉で、見た目はオシャレでも小さい子どもやベビーカーを扱うお母さん、荷物を配達する方など多くの人が苦労していました。自動になったことでみんなが暮らしやすい。少数派の人が生きやすければ、多数派も生きやすくなります。変わるべきは、人ではなく環境。次男も私も、足は遅いままで何の問題もないのです。 (女優・タレント)