走った後に突然倒れた小6の娘 なぜ学校はAEDを使わなかったのか〈ASUKAモデルの10年・1〉
その朝、娘は玄関で「駅伝、頑張るね」
その朝、さいたま市立日進小6年の桐田明日香さん=当時(11)=は、放課後の駅伝代表選手選考会に向けて張り切っていた。甘えん坊だけど、勉強も運動も頑張る努力家の明日香さんは、玄関で母の寿子(ひさこ)さん(51)に「駅伝、頑張るね。ママ大好き」と投げキスをして、元気に登校していった。2011年9月29日のことだ。
午後4時過ぎ、明日香さんは選考会で規定の1000メートルを走り終えると、突然倒れた。意識はなかったが、保健室に運んだ教諭らは「呼吸がある」「脈も取れた」と判断し特に処置はしなかった。しかし、倒れて11分後に到着した救急隊は、すぐさま心肺停止と判断し、心臓マッサージとAEDによる救命処置を始めた。
寿子さんが搬送先の病院へ駆けつけると、明日香さんは複数の管をつながれ、ひどくむくんで別人のよう。「どうしたの。どんな姿でもママは明日香を待ってるよ! 答えて!」。必死に呼びかけると、明日香さんは左の目から涙を2粒こぼし、翌30日に亡くなった。
突然の死 看護師の母は学校に不信感
明日香さんに基礎疾患はなく、医師からは心臓に何らかのトラブルが起きた「致死性不整脈の疑い」と説明された。県立病院の看護師だった寿子さんは、その死が本当に回避できなかったのか、学校の対応に疑問を抱いた。倒れた時になぜ心臓マッサージをせず、その場にあったAEDも使わなかったのか-。一般的に、心停止は1分経過するごとに救命可能性が10%ずつ低下するとされる。
学校に説明を求めたが、示された文書には明日香さんに回復の兆しがあったように書かれ、病院や救急の記録から読み取れる重篤な症状と食い違う。溝は埋まらず、市教育委員会は翌10月、第三者による事故調査委員会を設置した。
学校や市教委からは謝罪もなく、不信感は募るばかり。訴訟も頭をよぎったが、学校が大好きだった娘は争いを望まないだろうとも考えた。「明日香ならどう思う?」と遺影に問い掛け続けた。
事故から2カ月 市教育長が初の謝罪
一方、当時市教育長だった桐淵博さん(69)も悩んでいた。市は全国に先駆け、2006年にすべての市立学校へAEDを配置し、2009年には全教職員への研修を終えている。現場にいた先生もみなまじめで熱心。うそをついているとは思えない。「誰ひとり胸を押さずAEDを使わなかったのは、講習だけでは足りないからではないか」と思い至った。
二つの思いは2011年11月下旬、一つになる。桐淵さんは部下らの心配を振り切り単独で桐田さん宅を訪れ、「元気に学校へ行った明日香さんを無事に帰すことができず、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。事故から2カ月、初の謝罪だった。
寿子さんは振り返る。「遺族に寄り添う心が感じられた。『子どもたちを守りたい、死なせたくない』との思いが、私たちを救ってくれた」。互いに思いをぶつけ、ともに涙を流した6時間。手を携えて真相究明と再発防止に当たることで一致した。遺族と市教委が新たな関係を結び、救命マニュアル「ASUKAモデル」の誕生へと一歩踏み出した瞬間だった。
ASUKAモデルとは
桐田明日香さんの事故を教訓に、さいたま市教育委員会が2012年の命日に完成させた教職員用事故対応マニュアル。倒れた人の呼吸の有無がわからない場合なども迷わず胸骨圧迫(心臓マッサージ)と自動体外式除細動器(AED)装着を行うよう促した点が、当時の一般的対応と比べて画期的だった。現在は市や教育現場を越えて各地で活用され、医学的にも国際的に広がりつつある。AEDは、倒れた人の胸にパッドを張ると自動で心電図を調べ、必要な場合に電気ショックを与える装置。
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