お笑い芸人 滝沢秀一さん 清掃員と二足のわらじ 妻が産後うつになって…

(2019年6月2日付 東京新聞朝刊に一部加筆)

「出産40万円」芸人だけでは稼げず

 お笑い芸人とごみ清掃員の仕事をしています。きっかけは6年半前、当時、妊娠していた妻から「出産に40万円かかるから用意して」と言われたことです。

 芸人では稼げず、別の仕事を探して電話をかけた元芸人の後輩がごみ清掃員でした。「俺にもできるか」と聞くと「できる」というので始めました。走ったり、重いごみを運んだりときつかったです。出産のために始めた仕事ですが、お笑いと両立できるので、その後も続けました。

第2子出産「抱っこできない」即入院

 しんどかったのは2016年の夏。妻が第2子を出産後まもなく、産後うつになったのです。ある朝、ごみ清掃の仕事に出掛けようとしたら、妻から「子どもを抱っこできない。仕事に行かないで」と言われました。 休むわけにいかず、妻の母を呼びました。予兆はありました。今までできたことができない、と泣くことがあったからです。でも稼ぎのため仕事に行きました。なんとか持ちこたえてくれという気持ちでした。

 その日の仕事を終え、妻と病院に行くと、医師の診断は産後うつ。「悠長なことは言ってられません。明日から入院です」

子どもを預けて、まずは夫婦だけで

 長男は私の母の家に、長女は乳児院に預けました。当時は、朝5時にごみ清掃に出掛け、仕事が終わると乳児院の娘に会い、病院の妻に必要なものを届ける。母の家で長男とご飯を食べ、風呂に入って寝かしつける。自宅に戻るのは午後10時ごろという生活でした。

 妻は1、2カ月で退院しましたが、まずは夫婦だけで生活し、次に長男を迎え、娘と暮らせるようになったのは半年ほどたってからです。娘が戻るまで、妻は毎日泣いていましたね。

清掃員の日常 漫画は”素人”の妻が

 妻を支えたいと、ちょっとずつ家事や子育ての時間を増やしました。ツイッターなどで清掃員の日常を発信していたのが話題になり、昨年、漫画の出版を持ち掛けられました。担当者から漫画の描き手を相談され、「妻はどうですか?」と提案しました。妻は漫画を描いた経験はありませんが、置き手紙などに描く絵がうまかったんです。妻は「やる」と言いました。

 妻は締め切りが迫ると、夜中まで描きました。デザインやイラストを学んだこともない素人。技術を磨き、人さまに見てもらえるレベルまで努力したのは、たいしたものです。

「でも、生き方はいくらでもある」

 今は子どもの成長がすごく楽しみです。小学校1年の息子は「大人になったらごみ清掃員と何やろうかな」と言って、僕の影響なのか仕事は2つ持つものだと思っているみたいです。最近は「ごみ清掃員とプロ野球選手になる」って。下の2歳の娘もかわいいですね。2人とも将来どうなるか楽しみ。子どものために生きていると言っても過言ではないです。

 以前は芸人で成功しなければ人生は失敗と思っていました。でも、生き方はいくらでもあると、ごみ清掃をして学びました。稼げば、子どもは育てられますから。こう考えが変わったのも、家族ができたことが大きいですね。 

滝沢秀一(たきざわ・しゅういち)

 1976年、東京都生まれ。1998年に漫才コンビ「マシンガンズ」を結成、お笑いライブやラジオなどで活躍。エッセイ「このゴミは収集できません」(白夜書房)や妻と共同制作した漫画「ゴミ清掃員の日常」(講談社)など、ごみ清掃員の体験を基にした著作もある。

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滝沢さんの妻・友紀さんに、産後うつになり子どもを乳児院に預けた経験を語っていただきました。

(前編)産後うつの私を救ったのは乳児院 一人で頑張りすぎて…「もう限界」 →こちら 

(後編)預けてよかった。親子で笑顔でいられるのは、あの半年があったから →こちら