元関脇琴ノ若 佐渡ケ嶽満宗さん 厳しい師匠も孫にはメロメロ「パパを怒らないで」のひとことで…

海老名徳馬 (2024年7月7日付 東京新聞朝刊)

佐渡ケ嶽満宗さん(海老名徳馬撮影)

土俵から離れると優しい義父

 先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜、故人)は、義理の父というより、ずっと「師匠」です。厳しくてオーラがあった。一歩稽古場に入ると誰もしゃべらない。娘である今のおかみと結婚した後も師匠。食事中に酒をどんどん勧められ、1升飲んでも酔えない。師匠が「もう寝るか」と2階に上がると、緊張が解けて急に頭がぐるぐる回る。それくらいの緊張感がいつもありました。

 師匠の稽古はとにかく厳しくて、他の部屋からも「佐渡の荒稽古」と言われていた。そのおかげで今の自分があります。逃げたいと思うことがあっても、土俵から離れるとすごく優しい。よく稽古するとご飯に連れて行ってくれて「憎くてやっているわけじゃない。立派に育ってほしいからやるんだ」と。ついてきて良かった、と思いました。

朝稽古後、孫の将且くん(現琴ノ若)と話をする先代の佐渡ケ嶽親方=2005年11月、福岡国際センターで(川柳晶寛撮影)

 その師匠も孫はかわいかったんでしょうね。1997年に息子の将且(まさかつ)(大関琴桜)が生まれると、来たことがなかった私のアパートに何回も顔を見に来て。将且もおじいちゃんが大好き。顔も先代にそっくりじゃないですか。1歳半か2歳くらいから先代の膝の上で稽古を見ていて、3歳からまわしも締めていました。

将且は、今では「さくら」に

 将且は小さい頃から相撲が好きでした。力士が履く雪駄(せった)を欲しがり、小さい雪駄で幼稚園に通っていました。電柱を見るとよくてっぽうもしていた。先代も散歩に行くとたまにしていたんです。そういうのも、いつも一緒にいたからなんでしょうね。

 字が読めない幼稚園の頃から、力士の名前だけは全部読めた。私の対戦相手を見て覚えたみたい。道場にも一生懸命通っていました。私が負けると、将且が先代の所に行って「僕が頑張るからパパを怒らないで」と言っていたそうです。その時はあまり怒られなかった。孫が一番なんだなと思いましたね。

新十両に決まった琴ノ若(左)は、佐渡ケ嶽親方と、祖父・琴桜の優勝額を手に記念撮影=2019年5月19日、 千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋で(海老名徳馬撮影)

 将且が中学と高校で埼玉栄の寮にいた頃は、休みに帰ってくると、朝4時から一緒に稽古しました。力士の稽古は5時から。「おまえはまだ力士じゃないから、その前に起きてしなければならない」と。5時には終わって宿題。本人は今でも「栄も部屋も、どっちも厳しかった」と言います。高校を出て部屋に入門してからは、他の弟子よりも特に厳しく接してきました。

 小さい頃に先代に「いつになったら琴桜を名乗っていいか」と聞いて「大関になったらいいぞ」と約束していたそうです。祖父が横綱、父が師匠という重圧は相当あったと思いますが、その約束で「絶対に強くなる」という責任感につながったと思います。

 先代のしこ名を受け継いでからは「さくら」と呼んでいます。最初は言いにくかったけれど、呼ばれることで本人も「自分のしこ名だ」と意識できる。さらに上の地位を目指す力にもなると思います。

大関昇進の伝達式を終え乾杯する、琴ノ若(右)と佐渡ケ嶽親方=2024年1月31日、千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋で(武藤健一撮影)

佐渡ケ嶽満宗(さどがたけ・みつむね)

 1968年、山形県尾花沢市出身。大きな体を生かした相撲で活躍し、1996年に先代佐渡ケ嶽親方の長女真千子さんと結婚。先代が定年退職を迎えた2005年、九州場所中に引退し年寄佐渡ケ嶽を襲名。2024年から日本相撲協会の広報部長。長男の将且さんは24年初場所後に大関に昇進し、同年夏場所から先代のしこ名「琴桜」を継いだ。