ジャルジャル・福徳秀介さん 「芸人になるんやったら…」面白さ絶大だった父と、突然の別れ

(2019年12月29日付 東京新聞朝刊)

ジャルジャルの福徳秀介さん(稲岡悟撮影)

とにかく変わり者

 お笑いを目指すうえで誰から一番影響を受けたかと聞かれれば、まぎれもなく父親です。それぐらい父親の面白さは絶大でした。

 父親の尻にはばんそうこうの形に似たあざがあったんですが、一緒に風呂に入ったときにそれをはがすようなしぐさをして笑わせたり。駅前でもらったチラシを持ったまま、百貨店の婦人靴売り場に行って、くしゃくしゃにしたチラシを靴の中に入れて、「これで靴の形がくずれんやろ」と、いたずらしたり。今なら許されないかもしれませんが、とにかく変わり者でした。

 両親と4人きょうだいの6人家族の中で、食卓を盛り上げるのは末っ子の僕と、父親の役目でした。子どもながらに「今日どうやって笑わそう」って、いつも食事前はそわそわしてたんですが、父親がボケたら、僕がつっこむみたいに連携できた。笑いを取る気持ちよさを知って、お笑いってええなあと思うようになりました。

高1の時、事故で…

 でも、僕が高1の時、父親は交通事故で亡くなりました。普段通りに仕事に出掛けて、事故に遭ったからほんまに突然。46歳でした。「人はいつ死ぬか分からん」ってよく言いますけど、現実に降り掛かってきて、死んだ直後は受け止められませんでした。

 実は亡くなる前日、偶然、父親と将来について話をしてたんです。僕が「芸人とかになれたらなあ」って言ったら、「やるんやったら、さむい(面白くない)のはやめてくれよ」って。悔いのないよう芸人になろうって、余計に心に誓いました。

今もでっかい目標

 父親は貿易関係とか自営でいろんな仕事をしてました。詳しくは聞いていないのですが、死んだ後は専業主婦だった母親が引き継いだりしていました。僕は大学入学と同時にNSC(吉本興業の新人養成所)に入りました。ほんまは大学行かずに芸人になるつもりでしたが、母親から「それだけはやめて」って。お笑いで芽が出なかったときに就職しやすいようにという親心やったと思います。

 結果的にそれがよかったです。NSCにはバイトをしながら芸人を目指してる仲間が多かったですが、僕とコンビの後藤(淳平さん)はどちらも実家から同じ大学に通ってたんで、授業の後にネタ合わせがいっぱいできた。生活の心配がないようにしてくれた家族のおかげです。

 単独ライブを必ず見に来てくれる母親からは「面白さはお父さん譲りやな」って言われます。父親がいた人生より、父親がいない人生の方が長くなったと思うと、無性に悲しくなることがあります。僕の中で父親の面白さを超えるというのは、今でもでっかい目標なんです。

福徳秀介(ふくとく・しゅうすけ)

 1983年、兵庫県芦屋市出身。同じ高校のラグビー部だった後藤淳平さんと、2003年、お笑いコンビ「ジャルジャル」を結成し、テレビなどで活躍。2016年から絵本の執筆もしており、2019年11月には、いとこのイラストレーター北村絵理さんとの共作で絵本「なかよしっぱな」(小学館)を発売。右と左の鼻の穴が主人公という奇想天外なストーリーだ。