猿まわし芸人「ゆりありく」ゆりあさん 芸か結婚か…揺れる私に母がかけた言葉

(2021年6月6日付 東京新聞朝刊)

サルの「くぅ」を抱く猿回し芸人のゆりあさん(五十嵐文人撮影)

やりたいことを制限しなかった両親

 両親と私、2歳下の弟の4人家族で育ちました。両親とも美術系の学校を出て、父は内装業を自営、母は自宅でスカーフのデザインなどの仕事をしていました。

 小さい頃から、私のやりたいことは制限せず、のびのびと過ごさせてくれる両親でした。中学1年の時に「夜の公園に友達と遊びに行っていい?」と聞いたことがありました。普通は反対しますよね。「危ないから」と反対されるのかと思うと、「じゃあ車で送り迎えしてあげる」と。望むことは何とかしてかなえようとしてくれました。

21歳で告白 母は本当はあの時…

 ニホンザルが大好きで、中学生の時には「日光さる軍団の先生になる」と公言していました。21歳で猿まわし芸人をやりたいと告げた時も、「やりたいようにやりなさい」と応援してくれました。

 昨年「本当はあの時どうだった?」と聞いてみたんです。そうしたら母が「実はひっくりかえるくらいの衝撃だった」と言うんです。「鈴木家から芸能の仕事をする子が出るなんて!」と祖父母も含め大騒ぎだったようですが、私には全く気付かせず見守ってくれました。

 所属した一門の劇場が閉じ、10年ほど舞台に立てない時期がありました。芸人として先が見えず、「大道芸だけで終わってしまうのでは」と焦る私を両親が精神的に支えてくれました。よく辞めなさいと言わなかったと思います。

 30代に入って、猿まわしの芸はうまくなりました。でも、結婚・出産という先の人生を考えて悩むことも出てきました。前例となる女性もいませんでした。コンビを組んだら、その1匹につきっきりになり、一生に責任を持つ覚悟が必要です。「この仕事をしながら、人間としての人生を歩めるのか?」と。

背中を押され、2代目と組む覚悟

 そんな姿を見ていた母に「くよくよ悩んでいても仕方ないよ。この先のことを思い悩んで、やらない選択をするのはもったいない。今思った通りに生きてみたら?」と言われました。その言葉に「自分がやりたいことを、やっていけばいいんだ」と背中を押してもらいました。

 2年前に初代りくが亡くなった時、「1匹の猿ともう一回コンビを組んだら10年はかかる」という迷いと、「ゆりありくとして、初代と積み上げてきたものを終わりにしたくない」という気持ちの間で揺れました。それでも、今のくぅ(2代目りく)とコンビを結成して進んでこられたのは、あの時の母の言葉があったからかもしれません。

 厳しいことも言ってくれる母と甘やかしてくれる父。2人セットじゃないと今の私は育たなかった。鈴木家に生まれてよかったなと心から感謝しています。

ゆりあ

 1978年、埼玉県生まれ。本名・鈴木由梨亜(ゆりあ)。2000年に太郎次郎一門に入門。ニホンザル「りく」とのコンビ「ゆりありく」で、テレビや舞台で活躍。2019年からは2代目りく「くぅ」とコンビを組む。「日光さる軍団高尾山シアター」を東京都八王子市の高尾山さる園・野草園で開催中。