紙芝居・絵本作家 やべみつのりさん 「大家さんと僕」のカラテカ矢部太郎に父として伝えてきたこと

(2020年6月14日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

家族のこと話そう

写真

(稲岡悟撮影)

導かず、後ろから観察して「あ、転んだ」

 息子の太郎(タレント、カラテカの矢部太郎さん)には「とにかく好きなことを見つけなさい」と言っていました。芸人としてむちゃくちゃなことしているときも、漫画「大家さんと僕」が話題になってからも、好きなことをしているんだなと見ています。

 僕は、岡山県倉敷市の寺で育ち、高校卒業後、広島の自動車会社に就職。友人の勧めもあり23歳で上京し、イラストの仕事をしていました。数年後に結婚し、長女に続いて6年後の1977年に生まれたのが太郎です。妻がフルタイムで働き、子どもたちと長く過ごしていたのは僕でした。ただ、子育てとは違ったと思う。親は子どもの前にいて「気をつけて」と導くものだけど、僕は後ろから見てて「あ、転んだ、どうするのかな」と観察する感じ。それを絵日記にもしていました。

体罰を受けていた太郎がかいたポスター

 太郎が生まれた年、初の絵本「かばさん」(こぐま社)を出し、子どもの造形教室「ハラッパ」を始めました。太郎とも牛乳パックとか廃品を使って工作したり、教室の行事で多摩川の河川敷で土器を焼いたり。太郎はどの家でも、お父さんは工作しているものだと思っていたようです。

 幼いころはおしゃべりだったけど、中学生になりほとんどしゃべらなくなった太郎。そのころ教師から体罰を受けていたことが分かり、学校と話し合った。太郎はゴッホみたいなタッチの太陽と去りゆく先生の姿、「体罰先生さようなら」とかいたポスターを作ってみせてきた。「学校に持っていっていいか」と。表現というのは自分がやりたいことを出すことだから、もちろん持っていっていい、と伝えた記憶があります。

孫娘と絵本を出版 「ひとはなくもの」

 4月には長女の娘である孫娘と一緒に、こぐま社から「ひとはなくもの」を出版しました。孫が小学校1年の時、学校で僕の紙芝居作りのワークショップに参加した彼女の作品が編集者の目に留まって。しょっちゅう泣いてしまう主人公の女の子は孫自身。泣くのにはいろんな理由があるんだよ、と伝える内容です。今は高校生の孫は本当によく泣く子だった。でも、昨日泣いていたのと、今日泣いたのとは同じじゃないんですよね。孫は「あのころは修業だった」と。子どもには目に見えない内側の成長がある。そのことを教わった気がします。

 僕の子ども時代は貧乏で本もないような家だった。米の配給所の事務員として働き、6人の子を育ててくれた母は、50歳代で川柳と出合い、せっせと作品を作り同人誌を送ってくれました。風刺もユーモアもあって、表現するってすごいなと感じる作品だった。子や孫たちで作った川柳集「野菊」を贈ると喜んでくれた。僕や息子、孫に連なる創作について考えるとき、今は亡き母を思います。

やべ・みつのり 

本名・矢部光徳。1942年、岡山県倉敷市生まれ。1977年より子どものための造形教室「ハラッパ」を16年間主宰。現在も各地で造形遊びや紙芝居作りのワークショップを開く。絵本に「かばさん」(こぐま社)紙芝居に「ほねほねマン」シリーズ(童心社)など。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年6月14日

あなたへのおすすめ

PageTopへ