ギタリスト Charさん 「あなたは心の医者になったね」音楽の道を後押ししてくれた母
4姉妹 母が一家の大黒柱として医師に
生まれも育ちも東京・品川の戸越(とごし)銀座商店街。母が自分の実家である自宅で耳鼻咽喉科と眼科の医院を開業していました。おれが子どものころは地元の医師会でも女性は母を含め2人だけ。女性医師が珍しい時代でした。
母は農家の4人姉妹の3番目で、生活が大変だったのでしょう。子どものころ、福島県の親戚へ奉公に出されました。その後、戦時中の医師不足で福島県立女子医学専門学校(後の福島県立医科大)が開校。姉妹で一番頭の良かった母が、親や姉妹に背中を押されて1期生として学び、一家の大黒柱としての期待を背負って開業したようです。
終戦後、元暗号兵の父との出会いは新橋
父は普通の会社員。玄関の靴がちょっとずれて置いてあるだけで怒るような規律に非常に厳しい人でした。軍隊時代、配属先で「東京出の坊ちゃんが入った」といびられ、酒を大量に飲まされて以来、酒も飲みませんでした。
父は戦争のことを語りませんでしたが、戦後50年の時、おれも父の話を知りたいと思って聞くと、シンガポールで暗号兵だった時のことを話してくれました。終戦を同国で迎え、帰国して数年後の23歳の時、新橋のダンスホールで同い年の母と知り合ったそうです。
父は、おれがギターをやることも絶対反対だったし、髪の毛を伸ばすと「貴様は女か!」と軍隊調で叱りました。5歳ずつ離れた兄と弟がいますが、学生運動世代の兄も、やはり父とはまったく話が合わない。さらに言うと、家族6人で6畳1間に暮らしていた開業前の貧困を知る兄と、10歳下で高度経済成長期に生まれた弟とでは価値観が全く違い、話が通じません。家族がそれぞれの時代を映しているようでおもしろいです。
母の死から数カ月後、追い掛けるように
母は16年前、医院を閉めて直後の80歳で亡くなりました。持病はなかったのですが、別の部屋に寝起きする父が早朝見に行ったら、もう動かなかったと。兄弟の誰も医師になりませんでしたが、おれには「あなたは心のお医者さんになったね」と言ってくれたことがあります。「自由の時代。自分の好きなことをやればいい」と、音楽の道を後押ししてくれたのも母。良き理解者でした。
その年の数カ月後、父の住まいに新聞が2、3日分たまっていて、変だと思って鍵をこじ開けたら、父が布団の中で乱れのない姿勢で亡くなっていました。父も持病はなく、亡くなった日の昼も電車で外へ出掛けたぐらい元気だったので本当に不思議で。そんなことができるのか分かりませんが、自分で決心して死んだようでした。
亭主関白で米の炊き方も知りませんでしたが、母とは大恋愛時代もあったでしょう。兄弟で「おやじはおふくろを追っ掛けたんだね」と話しています。
Char(チャー)
本名・竹中尚人(ひさと)。1955年、東京都生まれ。76年ソロデビュー。日本を代表するギタリストとして第一線で活躍中。デビュー45周年の今年は9月にアルバム「Fret to Fret」をリリース、12月11日に日本武道館(東京)で奥田民生、山崎まさよし、布袋寅泰、AIらをゲストに迎えコンサートを開催する。
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