俳優 鈴木壮麻さん 「生まれてよかった」と思わせてくれた、母から父へのラブレター
単身赴任の父へ、毎日書いていた
10年くらい前、父方のいとこから突然段ボールが送られてきた。開けたら母が父に宛てたラブレターの束。「大好きなダーリンへ。今度会えるのが250日後です。今から数えていくと気が遠くなります」。父は外資系銀行員で1年の半分はニューヨークに単身赴任していた。母は毎日手紙を書いていたんですね。
父は東京・四谷の文房具店の長男、母は浅草の豆腐店の長女でした。父は専門学校で英語漬けの日々を送り、母は法政大の英文科で英語を極めた人で共に文学に傾倒していた。僕が育った西荻窪の家は英語の本や雑誌、辞書であふれていました。
でも、その結婚生活は8年で終わりました。父はジャカルタ支店開設の仕事で出張してたんですが、母が入院して「これは大変だ」と戻ってきた。弟も含め家族4人でジャカルタで生活するってワクワクしていたその年。父が駆けつけた病院のベッドで、意識が薄れていく母が父に手を伸ばした姿が忘れられません。
「まだ会えない」「いつ帰ってくるの」と手紙の文面にあふれていた。当時は高度成長期。がむしゃらに働く父に対して、私の結婚生活はあなたの返事を待つことと子どもを育てること。母はそう感じていたんでしょう。
父とは仲たがいしたままだけれど
僕が7歳、弟が3歳で東京都清瀬市のキリスト教系児童養護施設に預けられ、そこの私立学校に通いました。最初は「こんなことで負けてたまるか」って思いましたが、生活は結構楽しかった。2年後に父が再婚して施設を出たのですが、ここでの生活によって、今ミュージカルをやる上で、感覚として言葉で言えないような何か大きいものを得た気がします。
新しい母も快活で英語が得意。新たに生まれた妹も加えて家族で3年間イギリスに行きました。生みの母はプリンを作るのが得意で、新しい母はケーキを作るのが好きでした。家の中に甘い香りがほわっと立ちこめると、すごく幸せだなって感じました。
父は72歳で亡くなりました。劇団四季に受かった時「そんなことのために大学に行かせたわけじゃない」と家を追い出された。父とは仲たがいしたまますべてが終わってしまっていて、ちょっといびつな感じ。自分が親になってみると父はすごく頑張っていたと思います。仕事人間としてのコミュニケーション能力と家庭人としての能力に、若干の差異があったのかな。
でも、生みの母から父に宛てた数々の手紙に出合えて、僕はこんなに愛された、愛し合った2人から生まれたと、ホッとした。生まれてよかったって、すごく思います。
鈴木壮麻(すずき・そうま)
1960年、東京都出身。1982年に劇団四季に入り、「ジーザス・クライスト・スーパースター」で初舞台。1998年に退団するまで多くの作品の主役を務めた。近年は自らが作詞・作曲した楽曲による音楽活動もし、映画やテレビドラマにも出演。11月12日から東京・紀伊國屋サザンシアターで開かれる舞台「吾輩は漱石である」に出演予定。