女優 春名風花さん 乳児院に預けられた経験から伝えたい「育児に悩む人は助けを求めて」

(2018年10月7日付 東京新聞朝刊)

母親への思いを語る春名風花さん(安江実撮影)

泣く演技で「お母さんが死んじゃうと想像して」

 生後、間もないころから子役をしていました。物心がついてからのことで覚えているのは、オーディションでのこと。泣く演技を求められる時、大人のスタッフがよく「お母さんが死んじゃうことを想像してごらん」と言うんです。5歳のころ、不安になって母に「お母さんって、すぐに死んでしまうの?」と聞きました。母は関西の出身で「お母さんは不死身やから永遠に生きてるで」。笑わせてくれて、安心した覚えがあります。

 好きなアニメの影響もあって、自分のことを「ぼく」と言うようになったのは小学生のころから。両親は昔から、ありのままのぼくを認めてくれて、やることにあれこれと口を出しません。

 9歳の時、自分の出演するドラマをインターネットで宣伝するために、ツイッターを始めました。普段は知り合えないような人とでも、言葉を交わせて楽しかった。でも、好意的な反応ばかりではありません。殺害予告をされて、警察に被害届を出したこともありました。でも、「親はどんな教育をしているんだ」などと、親が批判されることが一番つらかったです。

「両親はいい判断をしてくれたな」と思いました

 ぼくがすごく小さいころ、母は育児に悩んで精神的に不安定になった時期があります。父が母を病院に連れて行き、ぼくは2週間だけ乳児院に預けられたそうです。1年ほど前、虐待のニュースを見て家族で話していたら、そう教えてくれました。母は「2週間、寂しくてずっと家で泣いていた」と言っていましたが、ぼくは「両親はいい判断をしてくれたな」と思いました。

 もし、母が体も心も限界なのに無理をしていたら、虐待に発展していたかもしれない。みんな完璧な人間じゃないから、家族って難しい。ぼくは乳児院に自分の家族を救ってもらったと思っているし、育児に悩んでいる人がいたら周囲に助けを求めてほしいです。だから、両親の了承を得て、自分の家族の経験をブログにも書きました。

 母は最近体調を崩して人間ドックを受け、肺に白い影があることなどが分かりました。「がんかもしれない」と落ち込んでいたけれど、ぼくは「昔、お母さんは不死身って言ったでしょう」と言い続けました。再検査の結果、がんではない他の病気だと分かりました。亡くなる人もいて、完治は難しい病気のようですが、母は「がんじゃなくて良かった」と前向きです。母は強く、ずぶとく、おもしろい人。そんな母から大きな影響を受けて育ったのが、ぼくという人間です。

はるな・ふうか

 2001年、神奈川生まれ。「はるかぜちゃん」の愛称で泣く演技が得意な子役として注目を集める。9歳で始めたツイッターなどで率直な意見を発信している。舞台出演や声優としても活躍。著書に「少女と傷とあっためミルク」(扶桑社)、「いじめているきみへ」(朝日新聞出版)。