サックス奏者 上野耕平さん 問題を起こしても音楽を取り上げなかった両親 いつも家族が「応援団」

熊崎未奈 (2023年11月26日付 東京新聞朝刊)

家族について話すサックス奏者の上野耕平さん(安江実撮影)

音楽一家ではなかったけれど

 サックスと出合ったのは、小学2年生のときでした。転校先に吹奏楽部があって、その演奏を初めて聴いたときに「入りたい」と思って。顧問の先生がサックス担当と決めてくれました。

 4年生のとき、後の師匠となるサックス奏者の須川展也先生の演奏会が地元のホールであったんです。「こんな音が出せるんだ」と驚いて、クラシック音楽に魅了されていきました。6年生のときには、将来はプロの音楽家になると決めていました。

 うちは音楽一家というわけではなく、父は福祉施設の職員、母は保育士。クラシックのCDなんて、うちには一枚もなかったです。でも、僕がサックスを始めた頃、父が「これ、サックス入っているよ」とグレン・ミラー・オーケストラのCDを買ってきてくれたのは覚えていますね。

 僕は学校では優等生のタイプではなくて、両親には心配をかけました。中学校ではいろいろと問題を起こして、吹奏楽部を退部になってしまったんです。荒れていて、両親にはいっぱい怒られたし、一緒に頭も下げてくれた。

 でも、両親は絶対に音楽を取り上げなかったんですよね。サックスのレッスンは続けさせてくれた。そこにはとても感謝しています。音楽があったから、あの時期を乗り越えてここまで来られたんだと思います。

応援団長の祖父がくれた言葉

 反抗期も落ち着いてきた高校3年の夏、父と二人で青春18きっぷで各駅停車の旅をしたのは思い出に残っています。4日間くらいずっと電車に乗って、ひいおばあちゃんのいる飛騨高山や愛知、長野などを巡りました。僕は小さい頃から鉄道好き。父と何を話すわけでもないですけれど、楽しかったですね。

 僕が演奏家になっても、家族の音楽との関わりはあまり変わらないですね。でも、家に僕のCDはあるし、帰省すると僕のラジオを流してくれます。仕事のことはあまり話さないですが、見守ってくれているのはうれしいですね。

 実家で一緒に住んでいたじいちゃんも、すごく気に掛けてくれていました。口癖は「わしは耕平の応援団長だ」。10月に亡くなったんですが、先日、実家で何げなく自分の机の引き出しを開けたら、じいちゃんが書いた一枚の紙が出てきたんです。「青春は人生の根を張る時期だ」とありました。中学時代の荒れていた時期に受け取ったのを、何となく覚えています。特に何かを言うわけではなく、そっと見守ってくれました。

 一緒に住んでいた家族が亡くなるのは初めてで、感覚が変わりましたね。分かっていたつもりだけれど、ずっと会えるわけじゃないんだって。両親も、毎日会えるわけじゃない。帰省すると、年を取ったなと感じます。時間は永遠じゃない、何かあったときには僕が何とかしなきゃいけないんだな、という意識も芽生えてきているところです。

上野耕平(うえの・こうへい)

 1992年、茨城県出身。東京芸術大器楽科卒業。2011年に日本管打楽器コンクールサクソフォン部門で史上最年少1位、14年にアドルフ・サックス国際コンクールで2位に輝く。クラシックや吹奏楽を中心にサックス奏者として活躍。9月にアルバム「Eau Rouge」を発表。サックス四重奏「The Rev Saxophone Quartet」でも活動し、東京公演が12月22日、岐阜公演が同23日にある。

コメント

  • 私自身吹奏楽部に入り、バリトンサックスを担当している中学2年生です。上野さんの音が大好きで、寝る前に毎日YouTubeでみています。 今年は全国大会出場をし、銅賞でした。正直悔しいです。ですが先
    バナナ 女性 10代 
  • いつもラジオで朗らかなお話を聞いていたので思春期のことは意外でした! でも我が身振り返ってもかくなむ…。親子の関係に答えはありませんが、「応援団」であることは必要なのだと改めて思い知らされました
    ユキ 女性 50代