サックス奏者 上野耕平さん 問題を起こしても音楽を取り上げなかった両親 いつも家族が「応援団」
音楽一家ではなかったけれど
サックスと出合ったのは、小学2年生のときでした。転校先に吹奏楽部があって、その演奏を初めて聴いたときに「入りたい」と思って。顧問の先生がサックス担当と決めてくれました。
4年生のとき、後の師匠となるサックス奏者の須川展也先生の演奏会が地元のホールであったんです。「こんな音が出せるんだ」と驚いて、クラシック音楽に魅了されていきました。6年生のときには、将来はプロの音楽家になると決めていました。
うちは音楽一家というわけではなく、父は福祉施設の職員、母は保育士。クラシックのCDなんて、うちには一枚もなかったです。でも、僕がサックスを始めた頃、父が「これ、サックス入っているよ」とグレン・ミラー・オーケストラのCDを買ってきてくれたのは覚えていますね。
僕は学校では優等生のタイプではなくて、両親には心配をかけました。中学校ではいろいろと問題を起こして、吹奏楽部を退部になってしまったんです。荒れていて、両親にはいっぱい怒られたし、一緒に頭も下げてくれた。
でも、両親は絶対に音楽を取り上げなかったんですよね。サックスのレッスンは続けさせてくれた。そこにはとても感謝しています。音楽があったから、あの時期を乗り越えてここまで来られたんだと思います。
応援団長の祖父がくれた言葉
反抗期も落ち着いてきた高校3年の夏、父と二人で青春18きっぷで各駅停車の旅をしたのは思い出に残っています。4日間くらいずっと電車に乗って、ひいおばあちゃんのいる飛騨高山や愛知、長野などを巡りました。僕は小さい頃から鉄道好き。父と何を話すわけでもないですけれど、楽しかったですね。
僕が演奏家になっても、家族の音楽との関わりはあまり変わらないですね。でも、家に僕のCDはあるし、帰省すると僕のラジオを流してくれます。仕事のことはあまり話さないですが、見守ってくれているのはうれしいですね。
実家で一緒に住んでいたじいちゃんも、すごく気に掛けてくれていました。口癖は「わしは耕平の応援団長だ」。10月に亡くなったんですが、先日、実家で何げなく自分の机の引き出しを開けたら、じいちゃんが書いた一枚の紙が出てきたんです。「青春は人生の根を張る時期だ」とありました。中学時代の荒れていた時期に受け取ったのを、何となく覚えています。特に何かを言うわけではなく、そっと見守ってくれました。
一緒に住んでいた家族が亡くなるのは初めてで、感覚が変わりましたね。分かっていたつもりだけれど、ずっと会えるわけじゃないんだって。両親も、毎日会えるわけじゃない。帰省すると、年を取ったなと感じます。時間は永遠じゃない、何かあったときには僕が何とかしなきゃいけないんだな、という意識も芽生えてきているところです。
上野耕平(うえの・こうへい)
1992年、茨城県出身。東京芸術大器楽科卒業。2011年に日本管打楽器コンクールサクソフォン部門で史上最年少1位、14年にアドルフ・サックス国際コンクールで2位に輝く。クラシックや吹奏楽を中心にサックス奏者として活躍。9月にアルバム「Eau Rouge」を発表。サックス四重奏「The Rev Saxophone Quartet」でも活動し、東京公演が12月22日、岐阜公演が同23日にある。
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