音楽プロデューサー 武満真樹さん 父・武満徹は猫がピアノの鍵盤を歩くと「なるほど」

草間俊介 (2022年10月3日付 東京新聞朝刊)
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音楽プロデューサーの武満真樹さん(五十嵐文人撮影)

家族のこと話そう

酒好きで、私の友だちも飲み仲間に

 父は作曲家の武満徹です。私は一人娘で、大学を卒業して家を出るまで両親といつも一緒でした。

 父は早起きで、たっぷりの朝食を3人そろって食べました。仕事が忙しくても午後7時できっぱりとやめ、夕食を3人で食べ、後はビールを飲んだりテレビで野球を見たり。

 よく父の(前衛的な)曲を聴いた人から「仕事中は怖くはなかった?」と聞かれますが、まったく怖くはなかったです。父はひょうきんな性格で、人間好きだったんです。

 小学校低学年の時、父は自宅でふすまを開ければ一間という部屋にグランドピアノを置いて仕事をしていました。その下で遊んでも、外から子どもの遊び声が聞こえても文句を言いません。飼っていた猫が仕事中にピアノの鍵盤の上を歩いても怒るどころか、その音に耳を傾けて「なるほど」と納得していました。

 小、中学生のころ、家に友だちを連れて来ると、父は小さな客がうれしくて、もてなす気持ちが高じてか、突然踊り出したりして。恥ずかしくてたまりませんでした。

 大学でも友だちを連れて来ました。酒好きの父はいつの間にか飲み仲間になり、帰宅すると、友だちと飲んでいてびっくりです。半端なく飲むので、時には朝まで。

人生のアドバイス「映画を見ろよ」

 曲の構想を練るときは、長野県の山小屋風の家にこもりました。時には3カ月も。構想を練るには緑が豊かな自然環境が必要だったのでしょうね。構想がまとまれば、東京の自宅に戻り譜面に書き写します。山小屋と自宅、切り替えがうまかったです。

 あと、私は「勉強しろ」と言われたことは一度もありません。父は映画好きで年に150~300本を見ていました。どんな映画でも「あのシーンはよかった」「カメラワークがよかった」「音楽がよかった」など必ず褒めます。良いところを探しながら見ていたのでしょう。「映画を見る楽しさを知らないのは、人生で損をしている。映画を見ろよ」とよく教えられました。

 父は1996年、病気で65歳で亡くなりました。危篤の知らせで病院に駆けつけると、すでに言葉を発することはできなくなっていました。私は普段から父を「徹さん」と呼んでいたので、「徹さん」と呼び掛けたら、父の目に涙が浮かびました。私と母に看取(みと)られて旅立ちました。

 そういえば、子どものころ父から「君が僕の子どもで幸せだった。でも、君はたまたま僕たちの子どもで生まれてきただけだよ。一人の個人だから、自由に生きていいんだよ」と言われました。意味を理解するのに長い時間がかかりましたね。

 父は間違いなく友だちにも、仕事にも恵まれた幸せな人生だったと思います。そう思えるのは娘としてもとても幸せです。

武満真樹(たけみつ・まき)

 1961年、東京都生まれ。父は作曲家の武満徹さん、母は俳優の若山浅香さん。上智大卒。外国映画の字幕や吹き替え版の台本の制作に従事した後、音楽プロデューサーに。本人が制作にかかわったCD「波の盆 武満徹 映像音楽集」が発売中。CDの詳細はキングレコードのWebサイトで紹介している。

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