ドラマー・作編曲家 山本真央樹さん 父がほめて見守ってくれたから、ずっと音楽を好きでいられた

神谷慶 (2023年2月19日付 東京新聞朝刊)
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父との思い出を語る山本真央樹さん(松崎浩一撮影)

カット・家族のこと話そう

カシオペアのCDを聴かせてくれて

 父、母、自分の3人家族で育ちました。ギタリストの父は、車を運転する時、よく洋楽のCDを流していました。1970~80年代の英国のロックが多かったです。

 音楽に合わせて時折ハンドルをたたく父を見て、幼い僕もまねして、座っているチャイルドシートの縁やダッシュボードをたたいてみたら、リズム感が良かったようでほめられた。それがうれしくて。「もっといろんな曲をたたけるようになろう」と、ポコポコたたくようになりました。難しいリズムをまねられるようになるたび、父は「もう拍子を理解しているのか!」なんてほめてくれて、「やった!」とやる気になりました。

 9歳の誕生日に電子ドラムを両親に買ってもらうまでは、家でもクイーンなどのビデオを見ながら机をたたいたり、段ボールや牛乳パックを並べて作った「ドラムセット」を、丸めた新聞紙でたたいたりして遊んでいました。ドラマーを目指すことになった原点と言えるかもしれません。

 8歳から「フュージョン」という音楽ジャンルに熱中しました。体調を崩し寝込んだ時に父が「これでも聴いていたら」と渡してくれた、バンド「カシオペア」のライブアルバムとベーシスト青木智仁さんの初ソロアルバムがきっかけ。数日間ずっと聴いていたら「どはまり」し、小学生時代にはひたすらカシオペアの曲をコピーしました。自身のバンド「DEZOLVE(ディゾルブ)」も「新世代のフュージョンバンド」を目指していますが、あの2枚のCDをもらったことは音楽的に大きな出来事でした。

初ソロアルバムで父がギターソロ

 父は一度だって、作品を僕に聴かせようとしたことも、「楽器を習ったら」と勧めたこともない。音楽の話はよくしたけれど、子どものやりたいことをそっと見守ってくれる父親。おかげで、伸び伸びと、音楽をずっと好きでいられた。父の子どもで良かったと思っています。自分も昨年、子どもが生まれ、親になりました。だからこそ今、一層尊敬している。父の姿勢を受け継ぎ、自分も子どものやりたいことを素直に応援できる父親でありたいです。

 2021年に出した初ソロアルバムで、父にギターソロを弾いてもらいました。

 「ギターの音」と言われてまず浮かぶのは、幼少期から家で耳にしてきた父の音。自分もデビュー後、多くのギタリストと仕事してきて、一周回って父のギターを聴いたら、懐かしさが込み上げるとともに「唯一無二の音。やはりすごいギタリストなんだ」と改めて驚嘆し、一人の音楽家として父を見つめ直せました。

 父は今、66歳。昔と全然変わらなくて、方々を飛び回り、ライブしている。いつまでもかっこいい音楽家であってほしい。そして、次またソロアルバムを出せる時が来たら、父のために曲を書き、「ギターを弾いて」とオファーしたいですね。

山本真央樹(やまもと・まおき)

 1992年、埼玉県生まれ。父は、ハードロックバンド「BOWWOW(バウワウ)」などで活動する山本恭司さん。春日部共栄中・高校卒業後、米・バークリー音楽大入学。帰国後の2012年にプロデビューし、角松敏生さんら多くのアーティストのライブや録音に参加、楽曲提供もしてきた。自身のバンド「DEZOLVE(ディゾルブ)」の6作目アルバム「CoMOVE(コムーヴ)」が今月発売された。

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