ユダヤ人収容所で子どもが描いた絵と、生存者の思い コロナ禍だからこそ伝えたいことを本に

中里宏 (2020年12月18日付 東京新聞朝刊)
 第2次大戦中にユダヤ人強制収容所で子どもたちが描いた絵を、約30年にわたり紹介し続けてきた埼玉県川越市のノンフィクション作家野村路子さん(83)が、新たな著作「生還者(サバイバー)たちの声を聴いて テレジン、アウシュヴィッツを伝えた30年」(第三文明社、1700円)を出版した。「コロナ禍の子どもたちの笑顔や希望を守るために、大人は何をすべきか。遺言のつもりで書いた」という。 

新刊を出版した野村路子さん=川越市で

プラハで出合った絵に衝撃

 野村さんは1989年、旅行先のプラハの小さな博物館で、ユダヤ人の子どもたちが描いた絵に出合った。楽しい移動遊園地の絵、花の上を飛ぶチョウの絵。一方、胸にユダヤ人であることを示すダビデの星を着けて絞首刑にされた人物の絵もあった。

 ナチスドイツがチェコ北部のテレジンに造ったユダヤ人強制収容所には、15000人の子どもたちが収容され、ここからアウシュビッツなどの絶滅収容所に移送された。終戦時に生き残った子どもはわずか100人とされる。

希望伝え続けた画家の存在

 テレジン収容所では当時、教育者でもあった女性画家フリードル・ディッカー(アウシュビッツで死亡)が、飢えと恐怖で笑顔を失った子どもたちに希望を持たせようと、監視の目を盗んで絵を描かせていた。「楽しかった思い出を描いて」「あしたはきっと、よい日が来る」と励まし、紙は大人たちがごみ箱などから捨てられた紙を集めて用意していた。

 野村さんがプラハで出合ったのは戦後、テレジンで発見された子どもたちの絵だった。衝撃を受けた野村さんは国立ユダヤ博物館から子どもたちの絵の複製の許可を取り、1991年から全国で「テレジン収容所の幼い画家たち展」を開いてきた。同時にテレジン収容所の生存者への取材と交流を続けてきた。

生存者から被災地の子どもへ

 新著でも交流が紹介されている生存者の一人、ディタ・クラウスさんは2011年、東日本大震災後に野村さんと会った際、被災地の子どもたちのとをしきりに気にかけていたという。家族をアウシュビッツで亡くしたクラウスさんは「一番つらかったことは、どうして自分だけが生き残ってしまったのだろうと考えた時だった」と言い、被災地の子どもたちに「生きていてよかった。亡くなった人の分まで幸せになってと伝えて」と野村さんに託した。

 野村さんは「差別や偏見、憎悪が生んだ悲劇を二度と繰り返してはいけない」と活動してきたが、現在のコロナ禍では感染者や医療従事者への差別的言動が全国で相次いでいる。学校の臨時休業などで子どもたちがつらい思いをしていないかと、再び執筆を思い立った。「今回は大人を対象に書いた。子どもたちのために大人が何をできるのか。できれば若い世代に読んでほしい」と話している。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2020年12月18日