苦しい時こそ子守唄を 西舘好子さんが保存活動にかける思い 「家庭内にも戦争は起きる」

木原育子 (2022年4月8日付 東京新聞朝刊)

子育て中の女性の相談に応じる日本子守唄協会の西舘好子理事長=東京都葛飾区で

 元劇団主宰、西舘好子さん(81)が、NPO法人「日本子守唄協会」(現「日本ららばい協会」)を設立して20年以上がたつ。元夫で作家の故井上ひさしさんとの結婚生活、離婚騒動を経て、戦争や紛争で子守唄が歌えなくなる惨状に気づき、各国各地の子守唄の収集、保存活動に情熱を燃やしてきた。今はかつて訪れたウクライナの悲劇に心を痛める。「子守唄は命の根源。どうか、子守唄を歌ってあげられる平穏を」。

紛争、DV…母親が子守唄を歌えなくなる

 「あら、よく来たわね。その後、元気でやっているの?」。3月下旬、東京都葛飾区の協会事務所。相談に訪れたシングルマザーの女性(40)に西舘さんが言葉をかけた。女性の帰り際、西舘さんがチャーミングに笑った。「子どもたちに子守唄を歌ってあげてね」

 西舘さんが子守唄に傾倒したきっかけは2つある。1つは1992~95年に起きた紛争だ。ボスニア・ヘルツェゴビナの独立に端を発した3つの民族による内戦で、「民族浄化」の名の下にレイプ、虐殺などの惨劇が繰り返された。

 ニュースで連日報道されていた際、知人に聞いた言葉が頭から離れなかった。「どの民族か分かってしまうから、収容された避難所でも、母親は子どもに子守唄も歌ってやれない」

 もう一つは虐待事件だ。文筆活動を始めた直後、まだ社会問題化されていなかったDV(家庭内暴力)の取材を始めた。DVに耐えかね、母子が心中した事件を取材した時、刑事の「まだ子守唄を聴いて眠る年ごろなのに…」という何げない言葉に、はっとした。

 還暦を迎え、どうやって生きていくか悩んでいた時でもあった。「国同士の戦争や内戦だけでなく、家庭内にも戦争は起きる。子どもたちに子守唄をゆっくり聴かせられる世の中にしたい」と思うようになった。

離婚後に「原点」回帰 子守唄協会を設立

 西舘さんは、作家の故・井上ひさしさんの元妻。まだ下積み時代だった1961年に結婚し、3人の娘を授かった。直木賞作家になった夫を支えながら、西舘さんも井上さんの戯曲を上演する劇団「こまつ座」の主宰者になるなど、後世に残る作品を二人三脚で生み出していった。

 だが、順風満帆ではなかった。「正直言って『子守唄』とは縁遠い生活」。家庭内では壮絶なDVがあった。納得いく作品ができない葛藤など、行き場のない感情は暴力に取り込まれやすい。さまざまなことが重なり、1986年に「自分に正直に生きたい」と離婚会見を開くと、一時は外出できないほどの非難を浴びた。

 「人の心や命について見つめ直した。自分の人生を振り返った時、なぜか戦前の浅草を思い出した。街のあちこちから子守唄が聞こえてくるようなぬくもりと活気があった。人間のコミュニケーションの始まりは子守唄。原点に戻りたい」

 子守唄研究の第一人者だった詩人・松永伍一さん(故人)らの協力を得て、2000年に日本子守唄協会を設立。国内外を訪ね、時には高齢者施設に出向いて「子守唄を教えてください」と呼び掛けるなど埋もれた子守唄を探し続けた。現在は理事長を務め、ひとり親家庭などに食糧を提供する「子ども配食」や子育て相談もする。

 訪れた国にはウクライナもある。「キーウは本当に美しくてきれいな街だった。いまの灰色の街並みを見ると胸が苦しくなる」と心を痛める西舘さん。30年前のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の惨状も頭をよぎる。「またも子守唄を歌ってあげられない世をつくり出してしまった。国同士の戦争も家庭内の戦争も暴力は人の心を最も破壊する」

理不尽で過酷な現実 歌うことで耐えた

 多くの人が思い出す子守唄の歌い出しは「ねんねんころりよ…」だろうか。地域によって「ねんねえや」「ねむねむ」などと変化するが、江戸中期から歌い継がれているという。

ゴザの上に寝転がり、一斉にお昼寝する保育園児たち=2014年、名古屋市で

 協会によると、「ねんねん」の語源は仏教経典に出てくるサンスクリット語で、「念仏を唱えて」の意味。仏教発祥の地のインドでは、子守唄のことを「ローリー」という。「生まれた時も亡くなる時も、ゆっくり寝てねということかしら。赤ちゃんとして生まれてきた賛歌とあの世への旅立ちが『安らかに眠って』という鎮魂でつながっているとしたら、不思議で面白い」と西舘さん。

 日本の子守唄が独特なのは、「ねんねんころりよ」のように親が子どもをあやす子守唄だけでなく、奉公先で子守りを担うまだ幼い「子守娘」が歌った子守唄もあることだ。子守奉公は、学校も行かせてもらえない上、劣悪な生活環境。歌詞にもそれが表れる。

 「起きて泣く子は つら憎い ヨホホ つらの憎い子を まないたにのせて」(京都・美山)

 「つらいもんだよ他人の飯は 煮えちゃおれども喉こさぐ(子守奉公先のご飯は喉を通らない)おどんがうっちん死んだちゅて だが泣いてくりょか(私が死んだら誰が泣いてくれるのか)」(熊本・五木)

 今もライブで子守唄を演奏するギタリストの原荘介さん(82)は「歌詞の裏の思いにこそ心を向けてほしい。言葉がわからない赤ちゃんに、歌うことで心を吐き出し、逆にそうせずに済んだ。理不尽で過酷な現実を子守唄を歌って必死に耐え忍び、生きようとした」と思い巡らす。

 紛争下の子守唄の状況を語り、西舘さんに協会設立のきっかけを与えたのも原さんだ。1988年から11年間ベルギーなどに滞在し、世界の子守唄を集めたパイオニア。「子守唄を歌う時の人肌のぬくもりや呼吸、声…。赤ちゃんは敏感に感じ取り、人としての感性を学んでいるんだ」

寝ない子へのいら立ち 子守唄で”発散”

 そんな大切な子守唄だが、残念ながら歌えない、歌わない世代も多い。

 保育現場に詳しい「保育と虐待対応事例研究会」事務局長の由井和子さん(66)は「園長だった時、若い保護者に『子守唄ってどういう歌か分からない』と質問されたことが何度かあった。そのたびに丁寧に教えました。肉声で歌うことで子どもに温かさが伝わる」と話す。

 前出の原さんも「人は誰でも心の中にいくつかの引き出しを持つ。さびついてなかなか開かない引き出しがある。それを開けてほしい。きっとあなたの子守唄がある」と言う。

 子守唄で、はぐくまれるものとは何か。立命館大学の鵜野祐介教授(教育人類学)は「心をへし折られてしまわないように自分自身に向けて歌ったと思われる子守唄が、世界にいくつも残っている。苦しいこともあるが、上を向いて生きていこうよという前向きな思いが宿っている」と話す。

 例えば、「泣けば空からおっかない鳥が降りてきて突っつくよ」(アイヌ民族)、「ココ(化け物)がやってきて食べちゃうぞ」(スペイン)、「起きているとコヨーテがさらっていくよ」(グアテマラ)。おどしのような歌詞の子守唄は各地にあるという。

 「なかなか寝ない子どもへのいら立ちは、世界共通なのだろう。残酷な子守唄を歌ってある種のストレスを発散させ、自身の内にわき起こる暴力的な負の感情をコントロールしているのではないか」と鵜野教授。

 西舘さんも「平和でなければ子守唄は歌えない。上手じゃなくていいし、歌詞は自分で作っていいし、まずはハミングでもいい。言葉にすることで楽になれるし、生き抜くために必要な感情を子どもに伝えられる。苦しい時だからこそ、子守唄を」と呼び掛ける。

デスクメモ

 子守唄(ララバイ)と聞けば、「ギザギザハートの-」や「聖母たちの-」やらが思い浮かぶ世代。本物の子守唄とは縁遠く、母から子への唄という先入観もあった。だが、両親で子育てが当然の現代では、父から子への子守唄も当然。そして、そんな家庭の中に戦争はないはずだ。(歩)