プラレール60年、走り続けて地球2周半 レールの規格変わらず子へ孫へ

加藤健太 (2019年3月6日付 東京新聞朝刊)
 青いレールで親しまれている鉄道玩具「プラレール」はことし、発売から60年。自分だけの世界を無限に広げられる面白さが、子どもだけでなく大人の心もつかんできた。音が鳴ったり光ったり、ロボットに変形したりと時代を映した新商品が登場しても、レールの規格だけは変わらず、子へ孫へと世代を超えてつながっている。

イベント会場のプラレールで遊ぶ子ども=東京都墨田区のJR両国駅前で(いずれも芹沢純生撮影)

「電車への憧れ、走らせたい気持ちは変わらない」

 高さ2メートルのタワーが目を引く巨大ジオラマを、JR山手線や中央線、新幹線の車両が走り回る。好きな車両同士の擦れ違いや、複雑に絡む立体交差はプラレールならではの楽しみだ。

 「遊びが多様化した今も、子どもたちの電車への憧れや、思い通りに走らせたいという気持ちは変わっていない」。JR両国駅前で4月7日まで開かれている記念イベント会場で、プラレールの販売を担当するタカラトミー(東京都葛飾区)の平林思問(しもん)課長(39)が、長年愛されてきた理由を語る。

プラレールが愛される理由などを語るタカラトミーの平林思問さん

 金属のおもちゃが主流だった1955年ごろ、タカラトミーの前身のトミー創業者、故富山栄市郎さんが最新素材のプラスチックに注目し、号令をかけた。「レールを走り回るいろいろな車両をつくれ」。59年、プラレールの原型となる「プラスチック汽車・レールセット」が発売された。

 同社によると、レールは家族だんらんの場だったちゃぶ台に乗る大きさで設計した。色は、デパートのおもちゃ売り場に何色もの見本を持ち込み、蛍光灯の下で最も映えた青に決めた。

 

イベント会場「両国 プラレール駅」で展示されている巨大ジオラマ

ホームドア、スマホ制御…でも連結部はそのまま

 最近はプラレールの駅にもホームドアが付き、スマートフォンで列車を制御することもできる。つるつるだったレールの表面はぎざぎざに加工され、走行が安定した。

 時代に合わせた変化や遊びやすくする工夫を取り入れてきた一方で、レールのサイズや、連結部の形は一貫して変えていない。平林さんは「時代を超えても遊べるように、大切に守ってきた」と話す。実際に、父親や祖父が押し入れから昔のレールを引っ張り出し、子どもや孫の持つ最新型とつなぐ家庭も出てきたという。

 これまで販売したレールの総距離は、地球2周半に当たる約9万8700キロ。還暦を迎える鉄道玩具のけん引役は、平成の次の時代も夢を乗せて走る。

「プラレール職人」結集! 東京の地下鉄13路線を再現

 思うままに組み立てられる自由さは、プラレールの大きな魅力だ。1月には愛好家たちが知恵と技を結集し、都内の地下を走る東京メトロと都営地下鉄の計13路線を再現した。

 学生や会社員ら8人のチームがさいたま市内で挑戦した。持ち寄った市販の部品を3日間かけて組み上げ、400平方メートルの会場いっぱいにレールを巡らせた。

 メンバーの一人、「ぺたぞう」の名で知られる岩崎哲哉さん(41)=千葉市美浜区=は各地でイベント用のジオラマをつくるプラレール職人だ。これまでにJR山手線や大阪環状線を手掛け、「頭でイメージした通りに組める」と胸を張る。

プラレールで再現された東京の地下鉄網 =さいたま市で(岩崎哲哉さん提供)

 岩崎さんらはグーグルマップを基に設計図を手書きし、開業が新しい大江戸線から手を付けた。同線など深い場所を走る路線からレールを敷いていき、最も歴史がある銀座線を重ねて完成。実際の線路の深さを専門書で調べ、立体交差の位置も忠実に再現した。

 苦戦したのは、銀座線や丸ノ内線などが通る赤坂見附駅。横に並んで走る上り線と下り線が駅構内で上下の位置に変わり、さらに乗換駅の永田町駅と合わせて5路線が乗り入れるため、制約が多かった。岩崎さんは「みんなでアイデアを出し合って乗り切ることができた」と振り返る。

 完成後は有料で開放し、子ども連れら約1000人が訪れた。複数の路線をつなぐ渡り線や、新橋駅の「幻のホーム」を組み込むこだわりようで鉄道ファンもうならせた。